昨年のG.Wに続き、2回目の三陸縦断の旅に出ました。
宿泊は基本的に道の駅でのPキャン、つまり車中泊。
ピンポイントでは4回目の訪問になる久慈市の あまちゃん聖地 の観光と、東日本大震災の被災地が、昨年に比べてどれぐらい変化したかを自分の目で確かめるのも今回の目的です。
尚、全編を通じて津波被害に遭った地域の写真がありますので、ご気分の優れない方はどうぞご注意下さい(本当は資料文献を交え、詳細に書いて皆さんに知っていただきたいことがたくさんあるのですが…)。
2015年4月29日(水祝)
午前3時42分、名古屋の自宅を出発。愛車は前日に初期1ヶ月点検とオイル交換、給油に洗車を済ませて準備万端。
東名~中央道~長野道~上信越道を経由して、東部湯の丸SAで給油と朝食。
関越道~北関東道~東北道へと乗り継ぎます。
菅生PAで給油と昼食。お気に入りの 仙台牛タン定食 です。
仙台南部道~仙台東部道~三陸道を経て鳴瀬奥松島ICでアウト。R45~R398を走り、最初の目的地である 女川 を目指します。
晴れて暑いぐらいの陽気でしたが、女川を目前にしてこんな光景が。
海から冷たい北東気流が入り、霧を形成しています。北東北で言うところの やませ でしょう。この後、25℃ぐらいあった外気温が15℃まで下がりました。
女川町復興まちづくり情報交流館 に到着。
高さ16mもの津波に襲われた女川の、復興の現状と今後のまちづくりについてを紹介する施設です。
受付を担当されていたご年配の女性に、当時のこと、避難所生活のこと、まだ見つかっていないご主人のこと、被災者同士の言われのない噂ばなしのことを、涙ながらに語ってくださいました。
それは我々の知らない、当事者にしかわからない胸の痛む話でした。
津波で横転した 女川交番 は、地元小学生の陳情で震災遺構として残るそうです。
女川の津波の特徴として引き波の強さが挙げられ、それが多くの建物の横転を招いたと言われています。
多くの犠牲者が出た 七十七銀行 の社員を追悼する碑。
最後に、3月に新築開業した 女川駅 を見学。地元では風景に対して不釣り合いと評されているとか。
16時半過ぎに 女川 を後にし、石巻 へと向かいました。
30分ほどで 石巻 の 日和山 に到着。市内が展望できます。
海側は津波とその後の火災にに襲われて、あまり建築物がありません。悲劇の幼稚園バス と言われる出来事も、このあたりで起きています。
八重桜が綺麗でした。
旧北上川沿いに広がる 石巻市内。中央の丸い建物が 石ノ森章太郎萬画館です。
美しい夕焼けを見ながら日和山を下り、石巻駅へ。昨年に続き 石巻焼きそば の店を訪ねましたが、またまたお休み…。
仕方なく目についた 吉野家 で 牛丼 を食べ、セルフ洗車機で エブリイワゴン を洗った後、今夜のPキャン予定地である 道の駅上品の郷 に向かいました。
昨年は「触ると壊れます」と書いてあった お郷ちゃん がお出迎え。今年は強くなったのか「壊れます」表記がありません。
この道の駅、レストランや物産直売所の他に、温泉やコンビニ、ガソリンスタンドも併設されていてとても便利です。
こうして第1日目は終り、能年玲奈ちゃんの GIRLSLOCKS を聴きながら、特製の車中泊セットで眠りに就きました。
本日の走行距離: 829km