G.W 東北Pキャン旅行⑦(2015.5.5)

アクアシルバー

2015年05月30日 21:35

2015年5月5日(火祝) 7日目


おはようございます。

深夜はけっこうな雨降りでしたが、目覚めた頃には薄日が射していました。



名古屋さ帰りたぐねぇ~。ずっとこごさいでぇ~。



心の叫びも空しく、まれ を視聴してから帰路に就きます。これから1000kmを超える距離を走ります。

正面に 岩手山 が見えてきました。



岩手県の締めくくりとして、岩手山SA に入ります。ようこそって書いてあるけど、ワタシは帰るのです。



思い残すことのないように…。



まめぶ汁 を食べます。久慈まめぶ部屋の監修なので、一昨日の 小袖 で食べたのと同じく美味しいです。



岩手山 に見送られて「サヨナラ岩手県!また来るよ!」



東北道をひたすら南下し、長者原SA で給油。12時には仙台に達しました。本来ならこのまま東北道を進むのですが、大槌町 で出逢った岐阜県の人 の話を聞いて、全通して間もない 常磐道 を進むことにしました。

カーラジオからはNHKの 午後のまりやーじゅ(午後まり) が流れています。今日は仙台から生放送で、東北地方に寄せる思いのメッセージを募集しています。

ちょうど東北旅行の帰り道だし、仙台通過中だし、スマホからメッセージ送ってみましょう。

福島第一原子力発電所 の近くを走る 常磐道 には、このような 放射線量の測定値の表示板 があります。



路肩の法面下部は、放射性物質が滞留しにくいようにコンクリートになっています。



帰宅困難地域でしょうか、壊れた民家の屋根にはビニールシートが張られていますが、人の気配はありません。田畑はもちろん、道路も背の高い枯れ草で覆われています。





放射線量の測定値が大きくなってきました。



この黒い袋が、あちこちに山積みになっています。除染で出た放射性汚染物質でしょうか。



宮城県沿岸や岩手県沿岸の震災被害とは違った、途方もなく長い道のりとなる福島の原発被害を垣間見た気がしました。

高速道路から見ただけでこの惨状ですから、国道6号線で帰宅困難地域を走ると、もっと色々な実体が見えるでしょう。

ワタシは日本人として、自分の目で実際の被災地の様子を見て、それを帰ってから誰かに伝えていくことが大事だと切に思います。

さて、いわきJC から 磐越道 に入った頃、聴いていたNHKラジオの 午後まり で、「愛知県のアクアシルバーさんから凄いメッセージが届いております」と、道谷眞平アナウンサーの声が流れてきました。ハイ、ワタシの送ったメッセージが読まれたのです。1週間かけて東北を車中泊で旅して帰ってる途中だよ、という内容だったんですけどね。

郡山JC を通過すると 会津磐梯山 が見えてきます。



磐梯山SA でかなり遅い昼ごはんと給油。もう夕方です。



夕闇迫る中を、エブリイワゴンは西へ向けて快調に走ります。



新潟に近づく頃には美しい夕焼けになりました。



新潟中央JC から北陸道に入り、米山SAで小休止。さらに 上越JC から上信越道、更埴JC から長野道へと走り、姨捨SA まで走ってきました。

いつ見ても美しい 善光寺平 の夜景。



休憩施設もリニューアルオープンしていました。



21時。遅い夕食。善光寺ラーメンです。海苔にお洒落な書き込みがしてあります。



梓川SA で最後の給油。岡谷JC から中央道に入り、順調に走りますが、さすがに眠気が襲ってきたので 阿智PA と 屏風山PA で20分ずつ仮眠。

東名・名二環 と乗り継ぎ 鳴海IC を出て自宅には日付の変わった5月6日の午前2時31分に無事到着。長い東北旅行は幕を下ろしました。

本日の走行距離: 1127km
累計の走行距離: 3056km



今回のお土産コーナー。いろいろと買ってしまいました。



その中でも、これは特にご紹介したいもの。

菅久菓子店の 陸前高田忘れえぬマドレーヌ と 田中菓子舗の 田老の渦巻きかりんとう



たらりら の ポストカード と まつぼっくりちゃんありがとうをチカラに の絵本



あまちゃん 潮騒のメモリーズの衣装の絣で作った名刺入れ



今回の旅行は、ワタシの人生では2番目に長い旅となりました。走行距離は何と人生で1番の距離でした。

また来年、浜通りや三陸沿岸の復興の様子を知る旅に出ようと、強く思っています。

被災地の一刻も早い復興を心から祈っております。


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