2013年11月12日
北三陸弾丸旅行(2013.11.2~4)
文化の日の三連休、本来は四国への旅行を予定していましたが諸般の事情で延期…。
さて、どうするか考えていましたが、ちょっと「自分試し」をしてみたくなり、「あまちゃん」のロケ地であった岩手県久慈市への弾丸旅行(というよりは無謀な弾丸ドライブ)へ出かけました。
というより、日増しに重症化する「あまロス症候群」の治癒が本当の目的かも…。
「自分試し」というのは、自分の自動車運転年齢がどれぐらいなのか、という意味。20代の頃は1日1000Kmを走っても全然OKでしたが、40代になっても当時と同じ能力を有しているのかを確かめたかったのです。まぁ、職業ドライバーの方々はこんなの当たり前なのでょうけど…。
今回の相棒は愛機2号のエブリイワゴン。D:5より経済的だという理由の他に、車中泊しやすいことや、軽ミニバンとはいえ後輪駆動を有しているので走っていて楽しいこと、旅をしている感が強いこと、そして年内に買い換えとなるために想い出作りのドライブに連れ出したいというわけです。
11月2日(土)
いきなりコケました!仮眠をして深夜に出発するつもりが熟睡してしまい、予定を大幅に遅れて5時25分に出発…。

結果として、しっかり眠ったので途中で眠くなったりすることは皆無でした。名二環鳴海I.Cから東名・中央道・長野道を経て姨捨S.Aで初めての休憩。いつものように善光寺平の眺めは絶景です。


更埴から上信越道へ。松代P.Aで給油。以降、燃料計が半分になったら給油することにします。
妙高の山々は紅葉の真っ只中です。

上越から北陸道へ。米山S.Aから望む日本海は青く広く穏やかです。お昼ごはん用に「ます蟹寿司」を買います。


黒埼P.Aで給油。新潟中央からは磐越道。殆んどが対面通行区間。磐梯山S.Aで3回目の休憩。ここで先程買った「ます蟹寿司」を食べます。



郡山からは東北道。この時点でやっと全行程の半分。さらに北上を続けます。BGMはやはり「みちのくひとり旅」ですな。
初めて走る福島以北の東北道。知らない地名に知らない景色。距離や所用時間の感覚がわからず孤独感を覚え始めました。単調な景色、名古屋より遥かに早い夕暮れ、街灯がなく暗い路面…。S.Aの雰囲気も見慣れた東名や中央道のそれとは違います。正直、気持ちが折れかけました。

それでもエブリイは快調に110Km/hアベレージで追越車線をキープ。期待以上の申し分のない走りを披露します。
菅生で給油した後は、楽天×巨人で盛り上がる仙台、盛岡を経て一気に岩手山S.Aへ。ここで早めの夕ごはんと最後の給油。あまちゃんで有名になった「まめぶ汁」と地鶏の親子丼をいただきます。


まめぶ汁は、確かに甘いんだかしょっぱいんだか、よくわからない食べ物でした。いや、美味しくないのではなく、醤油味のとろみのついた汁に浮かぶ団子の黒砂糖とクルミの甘味が斬新で、これはアリでしょう!という味。もっと全国区になってもいい食べ物です。
安代からは八戸道。殆んど車が走っていません。軽米I.CでアウトしてR395へ。まだ19時だというのに真っ暗で人っこひとり歩いていません。そんな道を走ること1時間弱。R45を経てやっと久慈市に到着。20時過ぎに「道の駅くじ」へ。今夜はここで車中泊とします。既に車中泊するクルマで駐車場はほぼ満車です。

実はここで大きな誤算が…。このあたりには立ち寄り湯がないのです。久慈駅の交番で銭湯を尋ねましたが、教えられた場所に行っても見つけられず…。仕方なく念のため持参した体拭きシートで我慢し着替え。洗顔と歯磨きをして早々に寝ることにします。エブリイのリヤシートを格納してマットとシュラフを広げれば快適な寝床の完成です。

本日の走行距離1111Km。5回の休憩と4回の給油、14時間半に亘る往路を無事に走りきりました。

11月3日(日)
昨日の晴天から肌寒い曇天に…。周りの車中泊の人たちが身支度を整える音で目覚めたのが6時前。今日は「あまちゃん」ロケ地をあちこち見て回る予定です。



実はこの道の駅、すでにロケ地巡りの一つ目です。北三陸市秋祭りのシーンで使われていました。
防災無線から流れる7時の時報にじぇじぇじぇ!何とあまちゃんのオープニングの曲です。聞けば久慈市のほぼ全域で使われているらしく、昼は劇中歌の「暦の上ではディセンバー」、夕方は「潮騒のメモリー」だとか。
歩いて三陸鉄道久慈駅に向かいます。北リアス線と南リアス線から成る、鉄分の多い人や撮影が趣味の人からも人気のある第三セクター鉄道です。
劇中では「北三陸鉄道・北三陸駅」として登場します。駅舎は劇中の駅名表示のままになっています。




今日は10時から三陸鉄道の「さんてつ祭り」が行われることになっていて、その支度も始まっていました。そして鉄分の多そうな人たちもチラホラ。
駅舎の中にあるリアス亭。うどんとそばを提供する店ですが、朝は限定20食で「ウニ弁」を販売しています。実はそれを目当てに早朝から駅に来たのですが、残念ながら21番目で撃沈…。

気を取り直して隣にあるJRの久慈駅へ。ウニを象ったモニュメントもあります。


その向かいに、劇中で「北三陸観光協会」が入っていた駅前デパートが。そして「北の海女」「北三陸鉄道」「潮騒のメモリーズ」の看板もそのまま残っています。


建物は使われておらず近々取り壊す予定だったそうですが、あまちゃんロケ地に選定されたことから延命されたそうです。
久慈市は街中あまちゃんだらけ…。


じぇじぇじぇの幟も立っています。

偶然久慈に到着したばかりの夜光高速バス「きづな号」を発見!昨夜東京を発ち東北道を一晩かけて走ってきました。久慈琥珀と北限の海女がラッピングされています。


後ろ姿には久慈市のキャラクター「あまりん」が描かれています。
こちらのトラックにも「あまりん」がいますね。

9時にオープンした道の駅くじ。激しくあまちゃん関連の曲が響き渡っています。2階まで吹き抜けの展示館内には大きな山車が。

その横には、あまちゃん出演者の似顔絵。

外の物販コーナーでは、まめぶ汁の支度途中。

さてさて、そろそろ「さんてつ祭り」が始まるので再び北三陸駅に行ってみましょう。
着いてビックリこの混雑。じぇじぇじぇじぇじぇ~。海女さん姿のお姉ちゃんや、潮騒のメモリーズのコスチュームの小さな子供もいました。


さんてつ祭りは、駅の他に車両基地でも行われています。

車庫内は潮騒のメモリーズ人形がお出迎え。ロケの様子の写真も展示されています。この車庫自体も劇中で使われていましたね。


お座敷列車の内部も見学できました。飾り付けが劇中とやや異なるような…。


こちらはロケで使われた一般車。どこの座席がどのシーンのどんな台詞で登場したかわかるようになっています。




ここまでで既にあまちゃん熱がヒートアップしていますが、更にこれからロケ地巡りのガイドツアーバスに乗り込みます(富士重工車体のいすゞ中型バスですが地方のバス故手入れが…)。

劇中で「袖ヶ浜」として登場した海は小袖海岸が本名です。そこまで行く途中の海沿いの道路は断崖絶壁の曲がりくねった狭い道。でも車窓は海に浮かぶリアス式海岸特有の奇岩が楽しめます。この辺りでオープニングや「北の海女」のポスターを撮影したとか。

「袖ヶ浜」に到着。早速アキちゃんが走っていた防波堤が見えます。意外に長い!

その先端にある灯台。残念ながら防波堤の上には上がれませんでした。なので春子が書いた落書きが残っているかは不明…。

漁港に係留されている漁船たち。

実は例の震災でこの漁港も津波の被害に遭い、100艘近い漁船を失い、建てたばかりだった海女センターも流されてしまったそうです。この船は全国各地から贈られた義援船のひとつです。

袖ヶ浜の海女軍団が下りてくる坂道。

春子が離婚届を投函したポストのあった場所。

海女カフェや漁協として登場した建物。

鳥居のあるめおと岩。

袖ヶ浜の海女さんたちはここで潜ってウニを採っていました。


ホントにウニがいます。

港の風景。

ヒロシが密漁監視のバイトをしていた小屋。

マンホールの蓋にも海女さんが描かれています。

北限の海女記念碑。

本物の海女さんたちが、まめぶ汁や干物を扱う店を出していました。

で、ウニ飯(500円)を食べてみました。これは絶品!病み付きになります。

次に訪れたのは久慈琥珀博物館。こちらが本館。

こちらが新館。

館内は当然琥珀だらけ。琥珀って植物の樹液の塊だって知っていました?燃やすとキャンプで使う薪と同じ香りがするそうです。久慈は日本で1番の琥珀採掘量を誇ります。



琥珀色、といえばウイスキーですね。当然のように展示されていますが…。

そんな中に「白州」を見つけました。山梨でなく、岩手で巡り会えるとは!じぇじぇ!

採掘場跡も見学できます。鍾乳洞のようでコウモリが住み着いていました。

バスツアーは久慈駅に戻って解散。
駅からすぐにある、もぐらんぴあ・まちなか水族館。以前は海沿いにあった水族館ですが津波で全壊してしまい、ここで仮営業中。さかなクンから寄贈された魚もいます。



こちらは「あまちゃんハウス」。地元雑誌社があまちゃんのロケ風景の写真や小道具を展示しています。




いよいよ久慈を後にする時間になりました。最後に道の駅くじで、「漁師なげこみ丼」をいただき、お土産を買い込みます。

16時半、雨の降りだした中を帰路に就きます。これからまた1100Km余りの超長旅ですが、明日中に帰宅できればよいので焦ることはありません。
久慈から宮古まではR45を走りました。海沿いは津波で何もない原っぱになっているところが多く、護岸や堤防の復旧工事が続いていたり、仮設の集合住宅があったり、「過去の津波浸水被害地域」という標識が立っていたりしました。
宮古で給油し、R106で盛岡を目指します。山越えの連続で、おまけに雨。所どころ霧が濃くて神経を使いました。
やっと盛岡南I.Cから東北道に上がったのが20時。最初の紫波S.Aで夕ごはん。盛岡冷麺をいただきます。

その後、ひたすら走り続け長者原S.Aで給油。そしてちょうど仙台市を通過中に楽天が優勝。
23時頃、安達太良S.Aを車中泊地とし、寝室をセット。さすがに疲れていたようで、あっという間に眠りについてしまいました。この日もお風呂に入れず体拭きシート…。
11月4日(月祝)
5時半に起き、身支度をして給油し安達太良S.Aを出発します。相変わらず雨が降っていますが順調に走り、一気に川口を目指します。川口から首都高で東名に乗り継ぎ、海老名S.Aまで4時間ノンストップで走ってきました。
ここまでこれば、もう安心。走り慣れたいつもの風景にホッとします。海老名のメロンパンで遅い朝食。


鮎沢P.Aでは久しぶりにアメリカンドッ君を賞味。

その後、足柄で給油をし、天気の回復してきた新東名を走ります。静岡S.Aでちょっと昼寝をし、後は名古屋までノンストップで走りました。
自宅近くで給油と洗車をし、15時頃無事に帰宅しました。
3日間の総走行距離は2229.3Km。使用燃料は183.8L。平均燃費は12.12Km/L。高速道路料金は休日半額で15650円でした。

今回の自分土産です。「じぇ」の缶バッジやストラップまで買ってしまいました。あ、あまちゃん本も。

次に東北方面に出かけるのはいつになるかわかりませんが、今回のような弾丸ツアーではなく日数をかけてゆっくり周遊したいですね。
今回の結論。やればまだまだ運転能力はあることが判明しました。また、エブリイでも充分に旅ができることをさらに実証できました。
そして…あまロスは治らず、反って重症化してしまいました。NHKオンデマンドで、あまちゃん第1話から第156話までをまた見かえしている今日この頃です。
さて、どうするか考えていましたが、ちょっと「自分試し」をしてみたくなり、「あまちゃん」のロケ地であった岩手県久慈市への弾丸旅行(というよりは無謀な弾丸ドライブ)へ出かけました。
というより、日増しに重症化する「あまロス症候群」の治癒が本当の目的かも…。
「自分試し」というのは、自分の自動車運転年齢がどれぐらいなのか、という意味。20代の頃は1日1000Kmを走っても全然OKでしたが、40代になっても当時と同じ能力を有しているのかを確かめたかったのです。まぁ、職業ドライバーの方々はこんなの当たり前なのでょうけど…。
今回の相棒は愛機2号のエブリイワゴン。D:5より経済的だという理由の他に、車中泊しやすいことや、軽ミニバンとはいえ後輪駆動を有しているので走っていて楽しいこと、旅をしている感が強いこと、そして年内に買い換えとなるために想い出作りのドライブに連れ出したいというわけです。
11月2日(土)
いきなりコケました!仮眠をして深夜に出発するつもりが熟睡してしまい、予定を大幅に遅れて5時25分に出発…。

結果として、しっかり眠ったので途中で眠くなったりすることは皆無でした。名二環鳴海I.Cから東名・中央道・長野道を経て姨捨S.Aで初めての休憩。いつものように善光寺平の眺めは絶景です。


更埴から上信越道へ。松代P.Aで給油。以降、燃料計が半分になったら給油することにします。
妙高の山々は紅葉の真っ只中です。

上越から北陸道へ。米山S.Aから望む日本海は青く広く穏やかです。お昼ごはん用に「ます蟹寿司」を買います。


黒埼P.Aで給油。新潟中央からは磐越道。殆んどが対面通行区間。磐梯山S.Aで3回目の休憩。ここで先程買った「ます蟹寿司」を食べます。



郡山からは東北道。この時点でやっと全行程の半分。さらに北上を続けます。BGMはやはり「みちのくひとり旅」ですな。
初めて走る福島以北の東北道。知らない地名に知らない景色。距離や所用時間の感覚がわからず孤独感を覚え始めました。単調な景色、名古屋より遥かに早い夕暮れ、街灯がなく暗い路面…。S.Aの雰囲気も見慣れた東名や中央道のそれとは違います。正直、気持ちが折れかけました。

それでもエブリイは快調に110Km/hアベレージで追越車線をキープ。期待以上の申し分のない走りを披露します。
菅生で給油した後は、楽天×巨人で盛り上がる仙台、盛岡を経て一気に岩手山S.Aへ。ここで早めの夕ごはんと最後の給油。あまちゃんで有名になった「まめぶ汁」と地鶏の親子丼をいただきます。


まめぶ汁は、確かに甘いんだかしょっぱいんだか、よくわからない食べ物でした。いや、美味しくないのではなく、醤油味のとろみのついた汁に浮かぶ団子の黒砂糖とクルミの甘味が斬新で、これはアリでしょう!という味。もっと全国区になってもいい食べ物です。
安代からは八戸道。殆んど車が走っていません。軽米I.CでアウトしてR395へ。まだ19時だというのに真っ暗で人っこひとり歩いていません。そんな道を走ること1時間弱。R45を経てやっと久慈市に到着。20時過ぎに「道の駅くじ」へ。今夜はここで車中泊とします。既に車中泊するクルマで駐車場はほぼ満車です。

実はここで大きな誤算が…。このあたりには立ち寄り湯がないのです。久慈駅の交番で銭湯を尋ねましたが、教えられた場所に行っても見つけられず…。仕方なく念のため持参した体拭きシートで我慢し着替え。洗顔と歯磨きをして早々に寝ることにします。エブリイのリヤシートを格納してマットとシュラフを広げれば快適な寝床の完成です。

本日の走行距離1111Km。5回の休憩と4回の給油、14時間半に亘る往路を無事に走りきりました。

11月3日(日)
昨日の晴天から肌寒い曇天に…。周りの車中泊の人たちが身支度を整える音で目覚めたのが6時前。今日は「あまちゃん」ロケ地をあちこち見て回る予定です。



実はこの道の駅、すでにロケ地巡りの一つ目です。北三陸市秋祭りのシーンで使われていました。
防災無線から流れる7時の時報にじぇじぇじぇ!何とあまちゃんのオープニングの曲です。聞けば久慈市のほぼ全域で使われているらしく、昼は劇中歌の「暦の上ではディセンバー」、夕方は「潮騒のメモリー」だとか。
歩いて三陸鉄道久慈駅に向かいます。北リアス線と南リアス線から成る、鉄分の多い人や撮影が趣味の人からも人気のある第三セクター鉄道です。
劇中では「北三陸鉄道・北三陸駅」として登場します。駅舎は劇中の駅名表示のままになっています。




今日は10時から三陸鉄道の「さんてつ祭り」が行われることになっていて、その支度も始まっていました。そして鉄分の多そうな人たちもチラホラ。
駅舎の中にあるリアス亭。うどんとそばを提供する店ですが、朝は限定20食で「ウニ弁」を販売しています。実はそれを目当てに早朝から駅に来たのですが、残念ながら21番目で撃沈…。

気を取り直して隣にあるJRの久慈駅へ。ウニを象ったモニュメントもあります。


その向かいに、劇中で「北三陸観光協会」が入っていた駅前デパートが。そして「北の海女」「北三陸鉄道」「潮騒のメモリーズ」の看板もそのまま残っています。


建物は使われておらず近々取り壊す予定だったそうですが、あまちゃんロケ地に選定されたことから延命されたそうです。
久慈市は街中あまちゃんだらけ…。



じぇじぇじぇの幟も立っています。

偶然久慈に到着したばかりの夜光高速バス「きづな号」を発見!昨夜東京を発ち東北道を一晩かけて走ってきました。久慈琥珀と北限の海女がラッピングされています。


後ろ姿には久慈市のキャラクター「あまりん」が描かれています。
こちらのトラックにも「あまりん」がいますね。

9時にオープンした道の駅くじ。激しくあまちゃん関連の曲が響き渡っています。2階まで吹き抜けの展示館内には大きな山車が。

その横には、あまちゃん出演者の似顔絵。

外の物販コーナーでは、まめぶ汁の支度途中。

さてさて、そろそろ「さんてつ祭り」が始まるので再び北三陸駅に行ってみましょう。
着いてビックリこの混雑。じぇじぇじぇじぇじぇ~。海女さん姿のお姉ちゃんや、潮騒のメモリーズのコスチュームの小さな子供もいました。


さんてつ祭りは、駅の他に車両基地でも行われています。

車庫内は潮騒のメモリーズ人形がお出迎え。ロケの様子の写真も展示されています。この車庫自体も劇中で使われていましたね。


お座敷列車の内部も見学できました。飾り付けが劇中とやや異なるような…。


こちらはロケで使われた一般車。どこの座席がどのシーンのどんな台詞で登場したかわかるようになっています。




ここまでで既にあまちゃん熱がヒートアップしていますが、更にこれからロケ地巡りのガイドツアーバスに乗り込みます(富士重工車体のいすゞ中型バスですが地方のバス故手入れが…)。

劇中で「袖ヶ浜」として登場した海は小袖海岸が本名です。そこまで行く途中の海沿いの道路は断崖絶壁の曲がりくねった狭い道。でも車窓は海に浮かぶリアス式海岸特有の奇岩が楽しめます。この辺りでオープニングや「北の海女」のポスターを撮影したとか。

「袖ヶ浜」に到着。早速アキちゃんが走っていた防波堤が見えます。意外に長い!

その先端にある灯台。残念ながら防波堤の上には上がれませんでした。なので春子が書いた落書きが残っているかは不明…。

漁港に係留されている漁船たち。

実は例の震災でこの漁港も津波の被害に遭い、100艘近い漁船を失い、建てたばかりだった海女センターも流されてしまったそうです。この船は全国各地から贈られた義援船のひとつです。

袖ヶ浜の海女軍団が下りてくる坂道。

春子が離婚届を投函したポストのあった場所。

海女カフェや漁協として登場した建物。

鳥居のあるめおと岩。

袖ヶ浜の海女さんたちはここで潜ってウニを採っていました。


ホントにウニがいます。

港の風景。

ヒロシが密漁監視のバイトをしていた小屋。

マンホールの蓋にも海女さんが描かれています。

北限の海女記念碑。

本物の海女さんたちが、まめぶ汁や干物を扱う店を出していました。

で、ウニ飯(500円)を食べてみました。これは絶品!病み付きになります。

次に訪れたのは久慈琥珀博物館。こちらが本館。

こちらが新館。

館内は当然琥珀だらけ。琥珀って植物の樹液の塊だって知っていました?燃やすとキャンプで使う薪と同じ香りがするそうです。久慈は日本で1番の琥珀採掘量を誇ります。



琥珀色、といえばウイスキーですね。当然のように展示されていますが…。

そんな中に「白州」を見つけました。山梨でなく、岩手で巡り会えるとは!じぇじぇ!

採掘場跡も見学できます。鍾乳洞のようでコウモリが住み着いていました。

バスツアーは久慈駅に戻って解散。
駅からすぐにある、もぐらんぴあ・まちなか水族館。以前は海沿いにあった水族館ですが津波で全壊してしまい、ここで仮営業中。さかなクンから寄贈された魚もいます。



こちらは「あまちゃんハウス」。地元雑誌社があまちゃんのロケ風景の写真や小道具を展示しています。




いよいよ久慈を後にする時間になりました。最後に道の駅くじで、「漁師なげこみ丼」をいただき、お土産を買い込みます。

16時半、雨の降りだした中を帰路に就きます。これからまた1100Km余りの超長旅ですが、明日中に帰宅できればよいので焦ることはありません。
久慈から宮古まではR45を走りました。海沿いは津波で何もない原っぱになっているところが多く、護岸や堤防の復旧工事が続いていたり、仮設の集合住宅があったり、「過去の津波浸水被害地域」という標識が立っていたりしました。
宮古で給油し、R106で盛岡を目指します。山越えの連続で、おまけに雨。所どころ霧が濃くて神経を使いました。
やっと盛岡南I.Cから東北道に上がったのが20時。最初の紫波S.Aで夕ごはん。盛岡冷麺をいただきます。

その後、ひたすら走り続け長者原S.Aで給油。そしてちょうど仙台市を通過中に楽天が優勝。
23時頃、安達太良S.Aを車中泊地とし、寝室をセット。さすがに疲れていたようで、あっという間に眠りについてしまいました。この日もお風呂に入れず体拭きシート…。
11月4日(月祝)
5時半に起き、身支度をして給油し安達太良S.Aを出発します。相変わらず雨が降っていますが順調に走り、一気に川口を目指します。川口から首都高で東名に乗り継ぎ、海老名S.Aまで4時間ノンストップで走ってきました。
ここまでこれば、もう安心。走り慣れたいつもの風景にホッとします。海老名のメロンパンで遅い朝食。


鮎沢P.Aでは久しぶりにアメリカンドッ君を賞味。

その後、足柄で給油をし、天気の回復してきた新東名を走ります。静岡S.Aでちょっと昼寝をし、後は名古屋までノンストップで走りました。
自宅近くで給油と洗車をし、15時頃無事に帰宅しました。
3日間の総走行距離は2229.3Km。使用燃料は183.8L。平均燃費は12.12Km/L。高速道路料金は休日半額で15650円でした。

今回の自分土産です。「じぇ」の缶バッジやストラップまで買ってしまいました。あ、あまちゃん本も。

次に東北方面に出かけるのはいつになるかわかりませんが、今回のような弾丸ツアーではなく日数をかけてゆっくり周遊したいですね。
今回の結論。やればまだまだ運転能力はあることが判明しました。また、エブリイでも充分に旅ができることをさらに実証できました。
そして…あまロスは治らず、反って重症化してしまいました。NHKオンデマンドで、あまちゃん第1話から第156話までをまた見かえしている今日この頃です。