2014年05月11日
G.W 東北Pキャン旅行 その1 (2014.4.28)
ゴールインウィークの10連休を利用して、道の駅でPキャン(車中泊)をしながら、1週間をかけて、三陸海岸沿いをひとり旅に出ました。
昨年見事にハマってしまった連続テレビ小説「あまちゃん」の舞台をもう一度訪れたいのと、未曾有の大災害から3年が経過した被災地の状況を、実際に確かめたい、というのが大きな目的です。
相棒はエブリイワゴンPZターボスペシャル。こんな感じで「にわかPキャン仕様」に変身です。

2014年4月28日(月)
日付が変わった0時ちょうどに自宅を出発。往路は名二環~東名~中央道~長野道~上信越道~関越道~北関東道~東北道のルート。

眠くなるまで走り続け、長野道の姨捨S.Aで3時間ほど仮眠。
目覚めた6時過ぎの善光寺平の風景。

横川S.Aで朝食と給油。富岡製糸の世界遺産登録の話題で賑わっています。

上河内S.Aの 豚きっき で朝から宇都宮餃子を。

菅生P.Aで少し早い昼食。噂に聞いていた 杜の牛タン定食。お決まりの麦とろ飯とテールスープも付いて1880円。


仙台北部道路~三陸道を経由して、13時過ぎに松島に到着。

東北地方の観光地では震災から最初に仮復旧したと聞いています。

観光船で松島一周クルーズ。カモメがたくさんいます。繁殖し過ぎて糞害が深刻なので、餌付けはしてはいけないそうです。




下船後、付近を散策。シーズンが間もなく終わる 焼きカキ や、これからシーズンに入る 穴子丼 の店がたくさんありますが、残念ながら満腹のため通過…。
一路、石巻方面に向かいます。途中のエネオスで給油をして、虫がぶつかり汚れてしまったエブリイを洗車。
石巻といえば、石ノ森萬画館。ナビで行っても見落としてしまうような、川の河口にあるんですね。

閉館時間が迫っていたので入館を諦め、入口にいたロボコンを写真に収めます。
よし、石巻焼きそばで1日目を締め括ろうと、石巻駅近くの 藤や食堂 に向かいますが、何と不定休の日に当たってしまい休み…。

仕方なく石巻駅を撮影して、今夜のPキャン予定地である 道の駅上品の郷(じょうぼんのさと) まで走ります。


ここは温泉もコンビニも併設されている人気の道の駅なので、すでにPキャンパーが並んでいます。
触ると壊れる お郷ちゃん がお出迎え。

夕食はここの海鮮ラーメンにしました。こ、これはウマイ!しかも800円!

食後は温泉に入り、クルマのバックドアを開けた下でキリンフリーとキウイとマカダミアナッツで乾杯。暑くも寒くもなく、夜風が心地よい夜でした。
22時には睡魔に襲われ、シュラフにはいりました。
本日の走行距離 813km。
昨年見事にハマってしまった連続テレビ小説「あまちゃん」の舞台をもう一度訪れたいのと、未曾有の大災害から3年が経過した被災地の状況を、実際に確かめたい、というのが大きな目的です。
相棒はエブリイワゴンPZターボスペシャル。こんな感じで「にわかPキャン仕様」に変身です。

2014年4月28日(月)
日付が変わった0時ちょうどに自宅を出発。往路は名二環~東名~中央道~長野道~上信越道~関越道~北関東道~東北道のルート。

眠くなるまで走り続け、長野道の姨捨S.Aで3時間ほど仮眠。
目覚めた6時過ぎの善光寺平の風景。

横川S.Aで朝食と給油。富岡製糸の世界遺産登録の話題で賑わっています。

上河内S.Aの 豚きっき で朝から宇都宮餃子を。

菅生P.Aで少し早い昼食。噂に聞いていた 杜の牛タン定食。お決まりの麦とろ飯とテールスープも付いて1880円。


仙台北部道路~三陸道を経由して、13時過ぎに松島に到着。

東北地方の観光地では震災から最初に仮復旧したと聞いています。

観光船で松島一周クルーズ。カモメがたくさんいます。繁殖し過ぎて糞害が深刻なので、餌付けはしてはいけないそうです。




下船後、付近を散策。シーズンが間もなく終わる 焼きカキ や、これからシーズンに入る 穴子丼 の店がたくさんありますが、残念ながら満腹のため通過…。
一路、石巻方面に向かいます。途中のエネオスで給油をして、虫がぶつかり汚れてしまったエブリイを洗車。
石巻といえば、石ノ森萬画館。ナビで行っても見落としてしまうような、川の河口にあるんですね。

閉館時間が迫っていたので入館を諦め、入口にいたロボコンを写真に収めます。
よし、石巻焼きそばで1日目を締め括ろうと、石巻駅近くの 藤や食堂 に向かいますが、何と不定休の日に当たってしまい休み…。

仕方なく石巻駅を撮影して、今夜のPキャン予定地である 道の駅上品の郷(じょうぼんのさと) まで走ります。


ここは温泉もコンビニも併設されている人気の道の駅なので、すでにPキャンパーが並んでいます。
触ると壊れる お郷ちゃん がお出迎え。

夕食はここの海鮮ラーメンにしました。こ、これはウマイ!しかも800円!

食後は温泉に入り、クルマのバックドアを開けた下でキリンフリーとキウイとマカダミアナッツで乾杯。暑くも寒くもなく、夜風が心地よい夜でした。
22時には睡魔に襲われ、シュラフにはいりました。
本日の走行距離 813km。
2014年05月07日
2014 G.W 車中泊の東北旅行 あまちゃん編 その2
その1からの続きです。漠然と写真を貼っていきます。
袖ヶ浜(小袖海岸)。









アキちゃんが夏ばっぱから突き落とされた時の船。

袖ヶ浜(堀内)駅。




忠兵衛さんが勤務していたスーパーマーケット。

あまちゃんハウス。




商店街のシャッターに描かれた「あま絵」。



もぐらんぴあ まちなか水族館。








これ、落書きがしてあったんだ!

まだまだあるので、その3につづきます。
袖ヶ浜(小袖海岸)。









アキちゃんが夏ばっぱから突き落とされた時の船。

袖ヶ浜(堀内)駅。




忠兵衛さんが勤務していたスーパーマーケット。

あまちゃんハウス。




商店街のシャッターに描かれた「あま絵」。



もぐらんぴあ まちなか水族館。








これ、落書きがしてあったんだ!

まだまだあるので、その3につづきます。
2014年05月05日
2014 G.W 車中泊の東北旅行 あまちゃん編 その1
2014年4月28日~5月4日まで、車中泊で東北を旅行してきましたが、何人かの「あまちゃんファン」の方々から、あまちゃん や 能年玲奈ちゃん に関係する写真を早く見たい、というリクエストがありましたので、旅行記本編より先に写真だけを駆け足でアップします(およそ、訪問した順です)。
まずは往路の上信越道 横川S.Aで、カルピスウォーターの自販機を発見。

「あまちゃん岩手をゆく」「突撃アットホーム」で放送された、三陸鉄道職員と一緒に「暦の上ではディセンバー」を踊った南リアス線盛駅。


その時にスタンバイで利用した、大船渡プラザホテル。「突撃…」の映像を元に場所を特定。

「あまちゃん岩手をゆく」で訪問した大槌町。今回、ワタシが見てきた中では最も復興が進んでいない地域のひとつ。

「あまちゃん岩手をゆく」のラストで、自分にとっての岩手とは?の質問に答えていた浄土が浜。この時の拠点は浄土が浜パークホテル。

「あまちゃん岩手をゆく」で、宮古市鍬ヶ崎の子供たちと一緒に作った顔はめパネル。南部ダイバー、かな?

「あまちゃん岩手をゆく」でポイントカードのイラストを描いた、復興商店街の たろちゃんハウス。




あまちゃん の中で畑野駅として出てきた、三陸鉄道北リアス線田野畑駅。






あまちゃん の中で、大吉さんとユイちゃん(後にアキちゃんも)が被災した光景を目の当たりにした、三陸鉄道北リアス線島越駅。


アキちゃんが震災後、北三陸に帰郷する時に乗ったバス(岩手県北バス 岩手200か1719 京王バスの中古車と推測)。

上記のバス車内からアキちゃんが眺めた、被災して損壊した水門または堤防(田野畑駅から北山崎に向かう途中で偶然発見)。

アキちゃんとユイちゃんが家出し、上野に向かおうてとして乗り間違えたバス(岩手県北バス 岩手200か286)。

北三陸観光協会が入っていた久慈駅前デパート。


喫茶リアスのモデルとなった喫茶モカ。
そこで食べた例のナポリタンと、壁面に飾られた出演者らのサインの一部(許可を得て撮影)。





あまりに写真が多いので、その2につづきます。
まずは往路の上信越道 横川S.Aで、カルピスウォーターの自販機を発見。

「あまちゃん岩手をゆく」「突撃アットホーム」で放送された、三陸鉄道職員と一緒に「暦の上ではディセンバー」を踊った南リアス線盛駅。


その時にスタンバイで利用した、大船渡プラザホテル。「突撃…」の映像を元に場所を特定。

「あまちゃん岩手をゆく」で訪問した大槌町。今回、ワタシが見てきた中では最も復興が進んでいない地域のひとつ。

「あまちゃん岩手をゆく」のラストで、自分にとっての岩手とは?の質問に答えていた浄土が浜。この時の拠点は浄土が浜パークホテル。

「あまちゃん岩手をゆく」で、宮古市鍬ヶ崎の子供たちと一緒に作った顔はめパネル。南部ダイバー、かな?

「あまちゃん岩手をゆく」でポイントカードのイラストを描いた、復興商店街の たろちゃんハウス。




あまちゃん の中で畑野駅として出てきた、三陸鉄道北リアス線田野畑駅。






あまちゃん の中で、大吉さんとユイちゃん(後にアキちゃんも)が被災した光景を目の当たりにした、三陸鉄道北リアス線島越駅。


アキちゃんが震災後、北三陸に帰郷する時に乗ったバス(岩手県北バス 岩手200か1719 京王バスの中古車と推測)。

上記のバス車内からアキちゃんが眺めた、被災して損壊した水門または堤防(田野畑駅から北山崎に向かう途中で偶然発見)。

アキちゃんとユイちゃんが家出し、上野に向かおうてとして乗り間違えたバス(岩手県北バス 岩手200か286)。

北三陸観光協会が入っていた久慈駅前デパート。


喫茶リアスのモデルとなった喫茶モカ。
そこで食べた例のナポリタンと、壁面に飾られた出演者らのサインの一部(許可を得て撮影)。





あまりに写真が多いので、その2につづきます。
2014年05月02日
2014年01月05日
お正月の播磨・但馬旅行(2013.12.31~2014.1.2)
この年末年始は、両親、妹、叔母とともにデリカD:5で兵庫県を巡る旅行に,2泊3日で出かけました。
2013年12月31日(火)
8時前に名古屋を出発。東名~名神を西へ進めます。米原から竜王までは、前日に降った雪が積もり一面の銀世界です。
大津S.Aで休憩。琵琶湖が一望できます。

テナントとして入っている、551の豚まんは欠かせませんね。

大山崎から京都縦貫道に入り、丹南P.Aでお弁当を食べます。
その後、雪の残る福知山を経て今回宿泊する朝来の「旅館栄」に16時頃到着。

まだ時間が早いので、スマホで調べた近くの「よふど温泉」へ。大晦日なので、激しい混雑でした。


宿に戻って夕食。大皿の飾ってある個室宴会場に通されます。

色々な出来事があった2013年最後の食事です。







部屋に戻り、紅白歌合戦を視聴。お楽しみの「あまちゃん企画コーナー」は涙ウルウルでした。ユイちゃん、やっと東京に出てこれたね!


2014年1月1日(水)
あけましておめでとうございます。
昨夜は雨が降った様子。

朝食はミニおせちです。

午前中は、日本のマチュピチュといわれる、天空の竹田城跡を眺めるために、立雲峡に登ります。


残念ながら登山道の雪が凍りついていて靴が滑り、途中の展望台でリタイヤ。

続いて播但連絡道を走り、姫路城へ。今年の大河ドラマ黒田官兵衛ゆかりの地として、すでに大にぎわいです。


50年に一度の修復工事も終盤。この春には工事用の覆いも取り外されます。


そんな修復工事を間近に見られる「天空の白鷺」。エレベータで8階に上がり、屋根瓦の張替工事を見学できます。これも1月14日で終了。

8階の様子。

7階の様子。

モニターには作業の様子が映し出されます。

南側は姫路駅越しに播磨灘が見えます。遥か遠くには小豆島も眺望できます。

軍師官兵衛、間もなくオンエア開始です。

姫路城南側にある土産店。

明石風たこ焼きを食べて、お土産を買います。

帰りR.312を走り、神河町(先日、エブリイの慣らしドライブで訪れたばかり…)を経て、宿に帰ります。名古屋より西に位置しているせいか、日の入りが遅い気がします。
今夜の夕食は、地元但馬牛のしゃぶしゃぶです。


その後、またまた近くの温泉に出向いて、今夜は早めに就寝。ケータイ大喜利、見れませんでした。
2014年1月2日(木)
今朝は日本海からの雪雲が、雨を降らせています。
朝食は和食。ワタシ、朝はパン食派なんですよね~。

お世話になりました、とチェックアウトしてもう一度竹田城址を眺めに行きます。
播但連絡道のめがね橋をくぐると、竹田城址への拠点が現れます。

それが山城の郷。悪天候にもかかわらず賑わっています。

2階の展示室にはジオラマと写真が。一昨年上映された映画「あなたへ」にも出てきましたね。


竹田城址は雲の間から一瞬だけ見えました。

次に、「但馬の小京都」といわれる出石へ向かいます。


出石は「わんこそば」ならぬ「皿そば」が有名で、そば屋が軒を並べています。
「近又」というそば屋さんに入ります。

基本は一人前5皿。追加も5皿単位でできます。

これがその皿そば。まずは5人前25皿がやってきました。


追加で20皿を完食。20皿食べると「皿そばの証」という木札がもらえます。

冷たい雨の降る中、城下町出石を散策。




締めは「但馬牛まん」。

雪深い出石を発ち、和田山八鹿道~北近畿豊岡道を経て春日から舞鶴若狭道へ。さらに南下し、中国道~六甲北道~新神戸TN経由で神戸に到着。



モザイクの中にある鴎外亭で夕食。ミニステーキコースをいただきます。





神戸を20時過ぎに出発し、帰路に就きます。阪神高速が西宮まで渋滞していた以外は、交通量は多いもののほぼ順調。名神をひた走り、24時過ぎに無事自宅に帰着しました。
3日間の総走行距離は919km。平均燃費は10.1km/Lでした。

今回の土産コーナー。姫路しろまるひめのお煎餅と焼きドーナツとタルト、竹田城のプチシュー、生野銀山のなつかしハヤシライス、銀の馬車道ゆずサイダー。

いやいや、久しぶりに宿での宿泊を伴う旅行で、これから始まるであろう官兵衛ブームを早取りした感じの旅でした。
2013年12月31日(火)
8時前に名古屋を出発。東名~名神を西へ進めます。米原から竜王までは、前日に降った雪が積もり一面の銀世界です。
大津S.Aで休憩。琵琶湖が一望できます。

テナントとして入っている、551の豚まんは欠かせませんね。

大山崎から京都縦貫道に入り、丹南P.Aでお弁当を食べます。
その後、雪の残る福知山を経て今回宿泊する朝来の「旅館栄」に16時頃到着。

まだ時間が早いので、スマホで調べた近くの「よふど温泉」へ。大晦日なので、激しい混雑でした。


宿に戻って夕食。大皿の飾ってある個室宴会場に通されます。

色々な出来事があった2013年最後の食事です。







部屋に戻り、紅白歌合戦を視聴。お楽しみの「あまちゃん企画コーナー」は涙ウルウルでした。ユイちゃん、やっと東京に出てこれたね!


2014年1月1日(水)
あけましておめでとうございます。
昨夜は雨が降った様子。

朝食はミニおせちです。

午前中は、日本のマチュピチュといわれる、天空の竹田城跡を眺めるために、立雲峡に登ります。


残念ながら登山道の雪が凍りついていて靴が滑り、途中の展望台でリタイヤ。

続いて播但連絡道を走り、姫路城へ。今年の大河ドラマ黒田官兵衛ゆかりの地として、すでに大にぎわいです。


50年に一度の修復工事も終盤。この春には工事用の覆いも取り外されます。


そんな修復工事を間近に見られる「天空の白鷺」。エレベータで8階に上がり、屋根瓦の張替工事を見学できます。これも1月14日で終了。

8階の様子。

7階の様子。

モニターには作業の様子が映し出されます。

南側は姫路駅越しに播磨灘が見えます。遥か遠くには小豆島も眺望できます。

軍師官兵衛、間もなくオンエア開始です。

姫路城南側にある土産店。

明石風たこ焼きを食べて、お土産を買います。

帰りR.312を走り、神河町(先日、エブリイの慣らしドライブで訪れたばかり…)を経て、宿に帰ります。名古屋より西に位置しているせいか、日の入りが遅い気がします。
今夜の夕食は、地元但馬牛のしゃぶしゃぶです。


その後、またまた近くの温泉に出向いて、今夜は早めに就寝。ケータイ大喜利、見れませんでした。
2014年1月2日(木)
今朝は日本海からの雪雲が、雨を降らせています。
朝食は和食。ワタシ、朝はパン食派なんですよね~。

お世話になりました、とチェックアウトしてもう一度竹田城址を眺めに行きます。
播但連絡道のめがね橋をくぐると、竹田城址への拠点が現れます。

それが山城の郷。悪天候にもかかわらず賑わっています。

2階の展示室にはジオラマと写真が。一昨年上映された映画「あなたへ」にも出てきましたね。


竹田城址は雲の間から一瞬だけ見えました。

次に、「但馬の小京都」といわれる出石へ向かいます。


出石は「わんこそば」ならぬ「皿そば」が有名で、そば屋が軒を並べています。
「近又」というそば屋さんに入ります。

基本は一人前5皿。追加も5皿単位でできます。

これがその皿そば。まずは5人前25皿がやってきました。


追加で20皿を完食。20皿食べると「皿そばの証」という木札がもらえます。

冷たい雨の降る中、城下町出石を散策。




締めは「但馬牛まん」。

雪深い出石を発ち、和田山八鹿道~北近畿豊岡道を経て春日から舞鶴若狭道へ。さらに南下し、中国道~六甲北道~新神戸TN経由で神戸に到着。



モザイクの中にある鴎外亭で夕食。ミニステーキコースをいただきます。





神戸を20時過ぎに出発し、帰路に就きます。阪神高速が西宮まで渋滞していた以外は、交通量は多いもののほぼ順調。名神をひた走り、24時過ぎに無事自宅に帰着しました。
3日間の総走行距離は919km。平均燃費は10.1km/Lでした。

今回の土産コーナー。姫路しろまるひめのお煎餅と焼きドーナツとタルト、竹田城のプチシュー、生野銀山のなつかしハヤシライス、銀の馬車道ゆずサイダー。

いやいや、久しぶりに宿での宿泊を伴う旅行で、これから始まるであろう官兵衛ブームを早取りした感じの旅でした。
2013年11月12日
北三陸弾丸旅行(2013.11.2~4)
文化の日の三連休、本来は四国への旅行を予定していましたが諸般の事情で延期…。
さて、どうするか考えていましたが、ちょっと「自分試し」をしてみたくなり、「あまちゃん」のロケ地であった岩手県久慈市への弾丸旅行(というよりは無謀な弾丸ドライブ)へ出かけました。
というより、日増しに重症化する「あまロス症候群」の治癒が本当の目的かも…。
「自分試し」というのは、自分の自動車運転年齢がどれぐらいなのか、という意味。20代の頃は1日1000Kmを走っても全然OKでしたが、40代になっても当時と同じ能力を有しているのかを確かめたかったのです。まぁ、職業ドライバーの方々はこんなの当たり前なのでょうけど…。
今回の相棒は愛機2号のエブリイワゴン。D:5より経済的だという理由の他に、車中泊しやすいことや、軽ミニバンとはいえ後輪駆動を有しているので走っていて楽しいこと、旅をしている感が強いこと、そして年内に買い換えとなるために想い出作りのドライブに連れ出したいというわけです。
11月2日(土)
いきなりコケました!仮眠をして深夜に出発するつもりが熟睡してしまい、予定を大幅に遅れて5時25分に出発…。

結果として、しっかり眠ったので途中で眠くなったりすることは皆無でした。名二環鳴海I.Cから東名・中央道・長野道を経て姨捨S.Aで初めての休憩。いつものように善光寺平の眺めは絶景です。


更埴から上信越道へ。松代P.Aで給油。以降、燃料計が半分になったら給油することにします。
妙高の山々は紅葉の真っ只中です。

上越から北陸道へ。米山S.Aから望む日本海は青く広く穏やかです。お昼ごはん用に「ます蟹寿司」を買います。


黒埼P.Aで給油。新潟中央からは磐越道。殆んどが対面通行区間。磐梯山S.Aで3回目の休憩。ここで先程買った「ます蟹寿司」を食べます。



郡山からは東北道。この時点でやっと全行程の半分。さらに北上を続けます。BGMはやはり「みちのくひとり旅」ですな。
初めて走る福島以北の東北道。知らない地名に知らない景色。距離や所用時間の感覚がわからず孤独感を覚え始めました。単調な景色、名古屋より遥かに早い夕暮れ、街灯がなく暗い路面…。S.Aの雰囲気も見慣れた東名や中央道のそれとは違います。正直、気持ちが折れかけました。

それでもエブリイは快調に110Km/hアベレージで追越車線をキープ。期待以上の申し分のない走りを披露します。
菅生で給油した後は、楽天×巨人で盛り上がる仙台、盛岡を経て一気に岩手山S.Aへ。ここで早めの夕ごはんと最後の給油。あまちゃんで有名になった「まめぶ汁」と地鶏の親子丼をいただきます。


まめぶ汁は、確かに甘いんだかしょっぱいんだか、よくわからない食べ物でした。いや、美味しくないのではなく、醤油味のとろみのついた汁に浮かぶ団子の黒砂糖とクルミの甘味が斬新で、これはアリでしょう!という味。もっと全国区になってもいい食べ物です。
安代からは八戸道。殆んど車が走っていません。軽米I.CでアウトしてR395へ。まだ19時だというのに真っ暗で人っこひとり歩いていません。そんな道を走ること1時間弱。R45を経てやっと久慈市に到着。20時過ぎに「道の駅くじ」へ。今夜はここで車中泊とします。既に車中泊するクルマで駐車場はほぼ満車です。

実はここで大きな誤算が…。このあたりには立ち寄り湯がないのです。久慈駅の交番で銭湯を尋ねましたが、教えられた場所に行っても見つけられず…。仕方なく念のため持参した体拭きシートで我慢し着替え。洗顔と歯磨きをして早々に寝ることにします。エブリイのリヤシートを格納してマットとシュラフを広げれば快適な寝床の完成です。

本日の走行距離1111Km。5回の休憩と4回の給油、14時間半に亘る往路を無事に走りきりました。

11月3日(日)
昨日の晴天から肌寒い曇天に…。周りの車中泊の人たちが身支度を整える音で目覚めたのが6時前。今日は「あまちゃん」ロケ地をあちこち見て回る予定です。



実はこの道の駅、すでにロケ地巡りの一つ目です。北三陸市秋祭りのシーンで使われていました。
防災無線から流れる7時の時報にじぇじぇじぇ!何とあまちゃんのオープニングの曲です。聞けば久慈市のほぼ全域で使われているらしく、昼は劇中歌の「暦の上ではディセンバー」、夕方は「潮騒のメモリー」だとか。
歩いて三陸鉄道久慈駅に向かいます。北リアス線と南リアス線から成る、鉄分の多い人や撮影が趣味の人からも人気のある第三セクター鉄道です。
劇中では「北三陸鉄道・北三陸駅」として登場します。駅舎は劇中の駅名表示のままになっています。




今日は10時から三陸鉄道の「さんてつ祭り」が行われることになっていて、その支度も始まっていました。そして鉄分の多そうな人たちもチラホラ。
駅舎の中にあるリアス亭。うどんとそばを提供する店ですが、朝は限定20食で「ウニ弁」を販売しています。実はそれを目当てに早朝から駅に来たのですが、残念ながら21番目で撃沈…。

気を取り直して隣にあるJRの久慈駅へ。ウニを象ったモニュメントもあります。


その向かいに、劇中で「北三陸観光協会」が入っていた駅前デパートが。そして「北の海女」「北三陸鉄道」「潮騒のメモリーズ」の看板もそのまま残っています。


建物は使われておらず近々取り壊す予定だったそうですが、あまちゃんロケ地に選定されたことから延命されたそうです。
久慈市は街中あまちゃんだらけ…。


じぇじぇじぇの幟も立っています。

偶然久慈に到着したばかりの夜光高速バス「きづな号」を発見!昨夜東京を発ち東北道を一晩かけて走ってきました。久慈琥珀と北限の海女がラッピングされています。


後ろ姿には久慈市のキャラクター「あまりん」が描かれています。
こちらのトラックにも「あまりん」がいますね。

9時にオープンした道の駅くじ。激しくあまちゃん関連の曲が響き渡っています。2階まで吹き抜けの展示館内には大きな山車が。

その横には、あまちゃん出演者の似顔絵。

外の物販コーナーでは、まめぶ汁の支度途中。

さてさて、そろそろ「さんてつ祭り」が始まるので再び北三陸駅に行ってみましょう。
着いてビックリこの混雑。じぇじぇじぇじぇじぇ~。海女さん姿のお姉ちゃんや、潮騒のメモリーズのコスチュームの小さな子供もいました。


さんてつ祭りは、駅の他に車両基地でも行われています。

車庫内は潮騒のメモリーズ人形がお出迎え。ロケの様子の写真も展示されています。この車庫自体も劇中で使われていましたね。


お座敷列車の内部も見学できました。飾り付けが劇中とやや異なるような…。


こちらはロケで使われた一般車。どこの座席がどのシーンのどんな台詞で登場したかわかるようになっています。




ここまでで既にあまちゃん熱がヒートアップしていますが、更にこれからロケ地巡りのガイドツアーバスに乗り込みます(富士重工車体のいすゞ中型バスですが地方のバス故手入れが…)。

劇中で「袖ヶ浜」として登場した海は小袖海岸が本名です。そこまで行く途中の海沿いの道路は断崖絶壁の曲がりくねった狭い道。でも車窓は海に浮かぶリアス式海岸特有の奇岩が楽しめます。この辺りでオープニングや「北の海女」のポスターを撮影したとか。

「袖ヶ浜」に到着。早速アキちゃんが走っていた防波堤が見えます。意外に長い!

その先端にある灯台。残念ながら防波堤の上には上がれませんでした。なので春子が書いた落書きが残っているかは不明…。

漁港に係留されている漁船たち。

実は例の震災でこの漁港も津波の被害に遭い、100艘近い漁船を失い、建てたばかりだった海女センターも流されてしまったそうです。この船は全国各地から贈られた義援船のひとつです。

袖ヶ浜の海女軍団が下りてくる坂道。

春子が離婚届を投函したポストのあった場所。

海女カフェや漁協として登場した建物。

鳥居のあるめおと岩。

袖ヶ浜の海女さんたちはここで潜ってウニを採っていました。


ホントにウニがいます。

港の風景。

ヒロシが密漁監視のバイトをしていた小屋。

マンホールの蓋にも海女さんが描かれています。

北限の海女記念碑。

本物の海女さんたちが、まめぶ汁や干物を扱う店を出していました。

で、ウニ飯(500円)を食べてみました。これは絶品!病み付きになります。

次に訪れたのは久慈琥珀博物館。こちらが本館。

こちらが新館。

館内は当然琥珀だらけ。琥珀って植物の樹液の塊だって知っていました?燃やすとキャンプで使う薪と同じ香りがするそうです。久慈は日本で1番の琥珀採掘量を誇ります。



琥珀色、といえばウイスキーですね。当然のように展示されていますが…。

そんな中に「白州」を見つけました。山梨でなく、岩手で巡り会えるとは!じぇじぇ!

採掘場跡も見学できます。鍾乳洞のようでコウモリが住み着いていました。

バスツアーは久慈駅に戻って解散。
駅からすぐにある、もぐらんぴあ・まちなか水族館。以前は海沿いにあった水族館ですが津波で全壊してしまい、ここで仮営業中。さかなクンから寄贈された魚もいます。



こちらは「あまちゃんハウス」。地元雑誌社があまちゃんのロケ風景の写真や小道具を展示しています。




いよいよ久慈を後にする時間になりました。最後に道の駅くじで、「漁師なげこみ丼」をいただき、お土産を買い込みます。

16時半、雨の降りだした中を帰路に就きます。これからまた1100Km余りの超長旅ですが、明日中に帰宅できればよいので焦ることはありません。
久慈から宮古まではR45を走りました。海沿いは津波で何もない原っぱになっているところが多く、護岸や堤防の復旧工事が続いていたり、仮設の集合住宅があったり、「過去の津波浸水被害地域」という標識が立っていたりしました。
宮古で給油し、R106で盛岡を目指します。山越えの連続で、おまけに雨。所どころ霧が濃くて神経を使いました。
やっと盛岡南I.Cから東北道に上がったのが20時。最初の紫波S.Aで夕ごはん。盛岡冷麺をいただきます。

その後、ひたすら走り続け長者原S.Aで給油。そしてちょうど仙台市を通過中に楽天が優勝。
23時頃、安達太良S.Aを車中泊地とし、寝室をセット。さすがに疲れていたようで、あっという間に眠りについてしまいました。この日もお風呂に入れず体拭きシート…。
11月4日(月祝)
5時半に起き、身支度をして給油し安達太良S.Aを出発します。相変わらず雨が降っていますが順調に走り、一気に川口を目指します。川口から首都高で東名に乗り継ぎ、海老名S.Aまで4時間ノンストップで走ってきました。
ここまでこれば、もう安心。走り慣れたいつもの風景にホッとします。海老名のメロンパンで遅い朝食。


鮎沢P.Aでは久しぶりにアメリカンドッ君を賞味。

その後、足柄で給油をし、天気の回復してきた新東名を走ります。静岡S.Aでちょっと昼寝をし、後は名古屋までノンストップで走りました。
自宅近くで給油と洗車をし、15時頃無事に帰宅しました。
3日間の総走行距離は2229.3Km。使用燃料は183.8L。平均燃費は12.12Km/L。高速道路料金は休日半額で15650円でした。

今回の自分土産です。「じぇ」の缶バッジやストラップまで買ってしまいました。あ、あまちゃん本も。

次に東北方面に出かけるのはいつになるかわかりませんが、今回のような弾丸ツアーではなく日数をかけてゆっくり周遊したいですね。
今回の結論。やればまだまだ運転能力はあることが判明しました。また、エブリイでも充分に旅ができることをさらに実証できました。
そして…あまロスは治らず、反って重症化してしまいました。NHKオンデマンドで、あまちゃん第1話から第156話までをまた見かえしている今日この頃です。
さて、どうするか考えていましたが、ちょっと「自分試し」をしてみたくなり、「あまちゃん」のロケ地であった岩手県久慈市への弾丸旅行(というよりは無謀な弾丸ドライブ)へ出かけました。
というより、日増しに重症化する「あまロス症候群」の治癒が本当の目的かも…。
「自分試し」というのは、自分の自動車運転年齢がどれぐらいなのか、という意味。20代の頃は1日1000Kmを走っても全然OKでしたが、40代になっても当時と同じ能力を有しているのかを確かめたかったのです。まぁ、職業ドライバーの方々はこんなの当たり前なのでょうけど…。
今回の相棒は愛機2号のエブリイワゴン。D:5より経済的だという理由の他に、車中泊しやすいことや、軽ミニバンとはいえ後輪駆動を有しているので走っていて楽しいこと、旅をしている感が強いこと、そして年内に買い換えとなるために想い出作りのドライブに連れ出したいというわけです。
11月2日(土)
いきなりコケました!仮眠をして深夜に出発するつもりが熟睡してしまい、予定を大幅に遅れて5時25分に出発…。

結果として、しっかり眠ったので途中で眠くなったりすることは皆無でした。名二環鳴海I.Cから東名・中央道・長野道を経て姨捨S.Aで初めての休憩。いつものように善光寺平の眺めは絶景です。


更埴から上信越道へ。松代P.Aで給油。以降、燃料計が半分になったら給油することにします。
妙高の山々は紅葉の真っ只中です。

上越から北陸道へ。米山S.Aから望む日本海は青く広く穏やかです。お昼ごはん用に「ます蟹寿司」を買います。


黒埼P.Aで給油。新潟中央からは磐越道。殆んどが対面通行区間。磐梯山S.Aで3回目の休憩。ここで先程買った「ます蟹寿司」を食べます。



郡山からは東北道。この時点でやっと全行程の半分。さらに北上を続けます。BGMはやはり「みちのくひとり旅」ですな。
初めて走る福島以北の東北道。知らない地名に知らない景色。距離や所用時間の感覚がわからず孤独感を覚え始めました。単調な景色、名古屋より遥かに早い夕暮れ、街灯がなく暗い路面…。S.Aの雰囲気も見慣れた東名や中央道のそれとは違います。正直、気持ちが折れかけました。

それでもエブリイは快調に110Km/hアベレージで追越車線をキープ。期待以上の申し分のない走りを披露します。
菅生で給油した後は、楽天×巨人で盛り上がる仙台、盛岡を経て一気に岩手山S.Aへ。ここで早めの夕ごはんと最後の給油。あまちゃんで有名になった「まめぶ汁」と地鶏の親子丼をいただきます。


まめぶ汁は、確かに甘いんだかしょっぱいんだか、よくわからない食べ物でした。いや、美味しくないのではなく、醤油味のとろみのついた汁に浮かぶ団子の黒砂糖とクルミの甘味が斬新で、これはアリでしょう!という味。もっと全国区になってもいい食べ物です。
安代からは八戸道。殆んど車が走っていません。軽米I.CでアウトしてR395へ。まだ19時だというのに真っ暗で人っこひとり歩いていません。そんな道を走ること1時間弱。R45を経てやっと久慈市に到着。20時過ぎに「道の駅くじ」へ。今夜はここで車中泊とします。既に車中泊するクルマで駐車場はほぼ満車です。

実はここで大きな誤算が…。このあたりには立ち寄り湯がないのです。久慈駅の交番で銭湯を尋ねましたが、教えられた場所に行っても見つけられず…。仕方なく念のため持参した体拭きシートで我慢し着替え。洗顔と歯磨きをして早々に寝ることにします。エブリイのリヤシートを格納してマットとシュラフを広げれば快適な寝床の完成です。

本日の走行距離1111Km。5回の休憩と4回の給油、14時間半に亘る往路を無事に走りきりました。

11月3日(日)
昨日の晴天から肌寒い曇天に…。周りの車中泊の人たちが身支度を整える音で目覚めたのが6時前。今日は「あまちゃん」ロケ地をあちこち見て回る予定です。



実はこの道の駅、すでにロケ地巡りの一つ目です。北三陸市秋祭りのシーンで使われていました。
防災無線から流れる7時の時報にじぇじぇじぇ!何とあまちゃんのオープニングの曲です。聞けば久慈市のほぼ全域で使われているらしく、昼は劇中歌の「暦の上ではディセンバー」、夕方は「潮騒のメモリー」だとか。
歩いて三陸鉄道久慈駅に向かいます。北リアス線と南リアス線から成る、鉄分の多い人や撮影が趣味の人からも人気のある第三セクター鉄道です。
劇中では「北三陸鉄道・北三陸駅」として登場します。駅舎は劇中の駅名表示のままになっています。




今日は10時から三陸鉄道の「さんてつ祭り」が行われることになっていて、その支度も始まっていました。そして鉄分の多そうな人たちもチラホラ。
駅舎の中にあるリアス亭。うどんとそばを提供する店ですが、朝は限定20食で「ウニ弁」を販売しています。実はそれを目当てに早朝から駅に来たのですが、残念ながら21番目で撃沈…。

気を取り直して隣にあるJRの久慈駅へ。ウニを象ったモニュメントもあります。


その向かいに、劇中で「北三陸観光協会」が入っていた駅前デパートが。そして「北の海女」「北三陸鉄道」「潮騒のメモリーズ」の看板もそのまま残っています。


建物は使われておらず近々取り壊す予定だったそうですが、あまちゃんロケ地に選定されたことから延命されたそうです。
久慈市は街中あまちゃんだらけ…。



じぇじぇじぇの幟も立っています。

偶然久慈に到着したばかりの夜光高速バス「きづな号」を発見!昨夜東京を発ち東北道を一晩かけて走ってきました。久慈琥珀と北限の海女がラッピングされています。


後ろ姿には久慈市のキャラクター「あまりん」が描かれています。
こちらのトラックにも「あまりん」がいますね。

9時にオープンした道の駅くじ。激しくあまちゃん関連の曲が響き渡っています。2階まで吹き抜けの展示館内には大きな山車が。

その横には、あまちゃん出演者の似顔絵。

外の物販コーナーでは、まめぶ汁の支度途中。

さてさて、そろそろ「さんてつ祭り」が始まるので再び北三陸駅に行ってみましょう。
着いてビックリこの混雑。じぇじぇじぇじぇじぇ~。海女さん姿のお姉ちゃんや、潮騒のメモリーズのコスチュームの小さな子供もいました。


さんてつ祭りは、駅の他に車両基地でも行われています。

車庫内は潮騒のメモリーズ人形がお出迎え。ロケの様子の写真も展示されています。この車庫自体も劇中で使われていましたね。


お座敷列車の内部も見学できました。飾り付けが劇中とやや異なるような…。


こちらはロケで使われた一般車。どこの座席がどのシーンのどんな台詞で登場したかわかるようになっています。




ここまでで既にあまちゃん熱がヒートアップしていますが、更にこれからロケ地巡りのガイドツアーバスに乗り込みます(富士重工車体のいすゞ中型バスですが地方のバス故手入れが…)。

劇中で「袖ヶ浜」として登場した海は小袖海岸が本名です。そこまで行く途中の海沿いの道路は断崖絶壁の曲がりくねった狭い道。でも車窓は海に浮かぶリアス式海岸特有の奇岩が楽しめます。この辺りでオープニングや「北の海女」のポスターを撮影したとか。

「袖ヶ浜」に到着。早速アキちゃんが走っていた防波堤が見えます。意外に長い!

その先端にある灯台。残念ながら防波堤の上には上がれませんでした。なので春子が書いた落書きが残っているかは不明…。

漁港に係留されている漁船たち。

実は例の震災でこの漁港も津波の被害に遭い、100艘近い漁船を失い、建てたばかりだった海女センターも流されてしまったそうです。この船は全国各地から贈られた義援船のひとつです。

袖ヶ浜の海女軍団が下りてくる坂道。

春子が離婚届を投函したポストのあった場所。

海女カフェや漁協として登場した建物。

鳥居のあるめおと岩。

袖ヶ浜の海女さんたちはここで潜ってウニを採っていました。


ホントにウニがいます。

港の風景。

ヒロシが密漁監視のバイトをしていた小屋。

マンホールの蓋にも海女さんが描かれています。

北限の海女記念碑。

本物の海女さんたちが、まめぶ汁や干物を扱う店を出していました。

で、ウニ飯(500円)を食べてみました。これは絶品!病み付きになります。

次に訪れたのは久慈琥珀博物館。こちらが本館。

こちらが新館。

館内は当然琥珀だらけ。琥珀って植物の樹液の塊だって知っていました?燃やすとキャンプで使う薪と同じ香りがするそうです。久慈は日本で1番の琥珀採掘量を誇ります。



琥珀色、といえばウイスキーですね。当然のように展示されていますが…。

そんな中に「白州」を見つけました。山梨でなく、岩手で巡り会えるとは!じぇじぇ!

採掘場跡も見学できます。鍾乳洞のようでコウモリが住み着いていました。

バスツアーは久慈駅に戻って解散。
駅からすぐにある、もぐらんぴあ・まちなか水族館。以前は海沿いにあった水族館ですが津波で全壊してしまい、ここで仮営業中。さかなクンから寄贈された魚もいます。



こちらは「あまちゃんハウス」。地元雑誌社があまちゃんのロケ風景の写真や小道具を展示しています。




いよいよ久慈を後にする時間になりました。最後に道の駅くじで、「漁師なげこみ丼」をいただき、お土産を買い込みます。

16時半、雨の降りだした中を帰路に就きます。これからまた1100Km余りの超長旅ですが、明日中に帰宅できればよいので焦ることはありません。
久慈から宮古まではR45を走りました。海沿いは津波で何もない原っぱになっているところが多く、護岸や堤防の復旧工事が続いていたり、仮設の集合住宅があったり、「過去の津波浸水被害地域」という標識が立っていたりしました。
宮古で給油し、R106で盛岡を目指します。山越えの連続で、おまけに雨。所どころ霧が濃くて神経を使いました。
やっと盛岡南I.Cから東北道に上がったのが20時。最初の紫波S.Aで夕ごはん。盛岡冷麺をいただきます。

その後、ひたすら走り続け長者原S.Aで給油。そしてちょうど仙台市を通過中に楽天が優勝。
23時頃、安達太良S.Aを車中泊地とし、寝室をセット。さすがに疲れていたようで、あっという間に眠りについてしまいました。この日もお風呂に入れず体拭きシート…。
11月4日(月祝)
5時半に起き、身支度をして給油し安達太良S.Aを出発します。相変わらず雨が降っていますが順調に走り、一気に川口を目指します。川口から首都高で東名に乗り継ぎ、海老名S.Aまで4時間ノンストップで走ってきました。
ここまでこれば、もう安心。走り慣れたいつもの風景にホッとします。海老名のメロンパンで遅い朝食。


鮎沢P.Aでは久しぶりにアメリカンドッ君を賞味。

その後、足柄で給油をし、天気の回復してきた新東名を走ります。静岡S.Aでちょっと昼寝をし、後は名古屋までノンストップで走りました。
自宅近くで給油と洗車をし、15時頃無事に帰宅しました。
3日間の総走行距離は2229.3Km。使用燃料は183.8L。平均燃費は12.12Km/L。高速道路料金は休日半額で15650円でした。

今回の自分土産です。「じぇ」の缶バッジやストラップまで買ってしまいました。あ、あまちゃん本も。

次に東北方面に出かけるのはいつになるかわかりませんが、今回のような弾丸ツアーではなく日数をかけてゆっくり周遊したいですね。
今回の結論。やればまだまだ運転能力はあることが判明しました。また、エブリイでも充分に旅ができることをさらに実証できました。
そして…あまロスは治らず、反って重症化してしまいました。NHKオンデマンドで、あまちゃん第1話から第156話までをまた見かえしている今日この頃です。
2013年11月02日
みちのくひとり旅( 速報)

で、「あまロス症状」の緩和の旅になりました。
今夜は「道の駅久慈」で車中泊です。
名古屋〜久慈、13時間半 1111Km。
愛機2号エブリイお疲れ!
…楽天、負けそう…。
2013年06月16日
志賀高原・軽井沢の旅(2013.5.3~4)
今年の大型連休は、いつもお世話になっている叔母を連れての旅行となりました。この春先から疲れ果てた心身をリフレッシュしたく、宿も3ヶ月前の予約開始当日に押さえてあったので…。
2013年5月3日
名古屋を早朝5時半に出発。中央道の恵那峡S.Aで朝食をとり、岡谷J.C.Tで少々渋滞に遭遇しましたが、ほぼ順調に長野道の梓川S.Aに到着。

雪が残る北アルプスが綺麗です。

姨捨S.Aでは、善光寺平の景色や飯綱山の残雪を眺めながらソフトクリームを食べます。茶色のは普通のチョコ味ではなく、七味が入っていてちょっとピリッとします。

上信越道の小布施P.A付近では、平行して流れる川の堤防に植えられた桜並木が見事に満開でした。
信州中野I.Cを出てR292を志賀高原へと向かいます。途中で立ち寄った「道の駅北信州やまのうち」の周辺は桜や桃(あんずかな?)の花が見頃を迎えていました。


志賀高原に向けてさらに高度をあげていくと、だんだんと雪山が迫ってきます。名古屋はもう初夏の陽気だったのに、ここには冬の名残が。路肩にも雪が出てきます。横手山(かな?)背景にD:5の後ろ姿をパチリ。

発哺などのスキー場ではたくさんのスキーヤーやボーダーが、滑り納めを楽しんでいました。雪の上にテーブルを広げてランチをしているファミリーやグループも多く、羨ましい限り。
そんな風景を左右に見ながら横手山ドライブインに到着。こんな雪の中を縫ってD:5は登ってきました。クルマの外気温計は何と1℃!


この横手山ドライブインのカレーライス、景色もよいこともあり、なかなか美味しくいただきましたよ。
さらにさらに高度を上げて走っていくと、まるで立山黒部アルペンルートのような雪の大谷が出現!写真が撮れなかったのが残念ですが、道の両側におよそ5mあろう雪の壁がそそり立つ姿は圧巻でした。そう、この区間は冬季通行止めが4月末に解除されたばかりの豪雪地帯なのです。
そんなわけで、ここが日本の国道で最も標高が高い渋峠。2172mです。

志賀草津道路に別れを告げて、白根から万座に下ります。先程までの雪景色とは一転、硫黄の吹き出す谷が現れます。

万座ハイウェーを、高原野菜で有名な嬬恋村へ走り、万座・鹿沢口駅から日本ロマンチック街道に入ると、正面には今なお噴火活動の続く浅間山が正面に見えます。
約300年前の浅間山の噴火で流れ出た溶岩がゴロゴロした奇怪な光景の鬼押出し園を散策。


浅間山観音堂を参拝して、次は白糸の滝へ。落差3m、幅70mほどの、本当に白糸のような姿の滝です。滝の水源は数十年前に浅間山に降った雨水が浸透しているそうです。富士の白糸の滝とは全く趣が違います。



ここに来たら定番の岩魚の炭火焼きをいただきます。

白糸の滝からは、渋滞を承知で三笠通りから旧軽銀座へ。夏にら白樺並木がきれいなのでしょうが、今はまだやっと芽吹いたところ。
それにしても軽井沢駅付近の渋滞は激しく、クルマを止めるところも満車だったので、旧軽の散策はパス。そのままR.18に出て小諸方面に走り、叔母のお薦め「追分けそば」へ。しかし閉店時間が何と16時…。ほんのタッチの差で間に合いませんでした。
で、中軽井沢付近で偶然発見した「かぎもとや」というそば屋さんへ。中に入ってビックリ!何と明治3年創業の老舗で、壁にはギッシリと有名人のサイン色紙が貼られています。中にはワタシの大好きな山崎努氏も。
天ぷらざるそばを食べましたが、ワタシの中で1、2に入るほどの絶品でした。あとで知ったのですが、けんちん汁も有名なんですね。ちょっと心残り…。


その後は軽井沢プリンスショッピングプラザ(軽井沢アウトレット)へ。池に映る夕暮れの浅間山がきれいです。

ちょうど、二人の娘の誕生日が近いので何かないかと探していたら、ナイキのお店でカワイイ配色のスニーカーを発見!しかも姉妹でお揃いで履けるサイズがあったので、これに決定!

しばらく色々なお店を見て歩いた後、21時半頃、今夜の宿である「旅籠屋軽井沢店」にチェックイン。素泊まりの自動車旅行者向けのホテルですが、オーナーさんの感じもよく、部屋もきれいで大満足。キングサイズのベッドで旅の疲れを癒します。
2013年5月4日
翌朝撮影の旅籠屋軽井沢店の様子です。素泊まりとはいえ、朝はパンとコーヒーとジュースを自由にいただくことができます。暖炉のあるラウンジで、オーナーに観光ルートのレクチャーを受けてチェックアウト。この旅籠屋さん、全国各地にあるのでクルマで旅行の際にはまた利用したいですね。




今日は中軽井沢周辺からスタート。星野リゾートグループが近年開発した観光施設が立ち並びます。まだ9時だというのに、もう観光客が出てきています。クルマだけは何とか駐車場に止めれました。

川のせせらぎに、何となく遅めの春を感じますね。

最初に歩いて軽く山を登って向かったのが石の教会と内村鑑三記念堂。ちょうど結婚式の最中で、しばらく見学を止められてしまいましたが、それが終わるとガイドツアーをしてくれます。平たい石を積み重ねたアーチ型の教会は厳かな雰囲気です。挙式直後の祭壇も最前列席で見学できました。撮影は禁止でしたが…。




記念堂にある、内村鑑三の書簡や資料が展示してあります。

星野リゾートのシャトルバスでハルニレテラスへ移動。軽井沢らしさにこだわった、新しいショップが並ぶ施設です。

その中にある「村民食堂」でランチ。ここは事前に妹がお薦めの店として紹介してくれていました。


軽井沢ポークのランチをいただきました。

ハルニレテラスではネイチャーツアーもやっていて、ハンモックで遊ぶこともできます。

お店はこんな感じで並んでいます。雑貨屋さんやそば屋さん、ジェラート屋さん、和菓子屋さん、ワイン屋さんなど魅力的な、そして旧軽地区とはまた違ったハイソな感じのお店たちです。

最後に丸山珈琲をテラスでいただき、ハルニレをあとにします。

と、ここで叔母が何と「小作のほうとうが食べたい」とタマゲタことを言い出します。まあ、大まかに軽井沢のハイライトは見学したので、ご要望に応えるべく帰路のルートを大幅変更。軽井沢から小諸を経て、R.141で野辺山高原経由で清里を目指します。
意外に順調に走ってきたので、夕飯にはまだ早いということで、毎年夏にキャンプ帰りに立ち寄る「まきば公園」へ。じゅんじゅん、ここの草原を走るのが大好きだったなぁ…。

で、ほうとうの「小作」清里店に到着。

やっぱりいつもと同じ、豚肉ほうとうをいただきます。

ここまできたら、やはりワタシにとっての聖地「武川」に立ち寄らないわけにはいきません。須玉から山越えして、釜無川を渡り、いつもの牧原交差点から大武川の河原へ。残雪の駒ヶ岳がぼんやり見えます。

この夏も、「フレンドパークむかわ」のキャンプ予約をしてあるのですが、果たして家族で来ることができるのだろうか…。

などと雑念を抱きながら、フレンドパークむかわ、篠沢大滝、ビッグランドのキャンプ場を道すがら見回り。どこもテントとタープの花がたくさん咲いていて羨ましい限りです。食鮮館エブリのある道の駅はくしゅうも混雑していたので、恒例のお米ジェラートはお預けに…。
そのままR.20を諏訪まで走り、中央道へ。途中小黒川P.Aで長めの休憩を取り、その後は渋滞の解消した中央道を名古屋までノンストップで走行。22時すぎ、叔母を送り届けて無事に帰着しました。
今回の1泊2日の走行距離は765.3Km。平均燃費は10.3Km/Lでした。
2013年5月3日
名古屋を早朝5時半に出発。中央道の恵那峡S.Aで朝食をとり、岡谷J.C.Tで少々渋滞に遭遇しましたが、ほぼ順調に長野道の梓川S.Aに到着。

雪が残る北アルプスが綺麗です。

姨捨S.Aでは、善光寺平の景色や飯綱山の残雪を眺めながらソフトクリームを食べます。茶色のは普通のチョコ味ではなく、七味が入っていてちょっとピリッとします。

上信越道の小布施P.A付近では、平行して流れる川の堤防に植えられた桜並木が見事に満開でした。
信州中野I.Cを出てR292を志賀高原へと向かいます。途中で立ち寄った「道の駅北信州やまのうち」の周辺は桜や桃(あんずかな?)の花が見頃を迎えていました。


志賀高原に向けてさらに高度をあげていくと、だんだんと雪山が迫ってきます。名古屋はもう初夏の陽気だったのに、ここには冬の名残が。路肩にも雪が出てきます。横手山(かな?)背景にD:5の後ろ姿をパチリ。

発哺などのスキー場ではたくさんのスキーヤーやボーダーが、滑り納めを楽しんでいました。雪の上にテーブルを広げてランチをしているファミリーやグループも多く、羨ましい限り。
そんな風景を左右に見ながら横手山ドライブインに到着。こんな雪の中を縫ってD:5は登ってきました。クルマの外気温計は何と1℃!


この横手山ドライブインのカレーライス、景色もよいこともあり、なかなか美味しくいただきましたよ。
さらにさらに高度を上げて走っていくと、まるで立山黒部アルペンルートのような雪の大谷が出現!写真が撮れなかったのが残念ですが、道の両側におよそ5mあろう雪の壁がそそり立つ姿は圧巻でした。そう、この区間は冬季通行止めが4月末に解除されたばかりの豪雪地帯なのです。
そんなわけで、ここが日本の国道で最も標高が高い渋峠。2172mです。

志賀草津道路に別れを告げて、白根から万座に下ります。先程までの雪景色とは一転、硫黄の吹き出す谷が現れます。

万座ハイウェーを、高原野菜で有名な嬬恋村へ走り、万座・鹿沢口駅から日本ロマンチック街道に入ると、正面には今なお噴火活動の続く浅間山が正面に見えます。
約300年前の浅間山の噴火で流れ出た溶岩がゴロゴロした奇怪な光景の鬼押出し園を散策。


浅間山観音堂を参拝して、次は白糸の滝へ。落差3m、幅70mほどの、本当に白糸のような姿の滝です。滝の水源は数十年前に浅間山に降った雨水が浸透しているそうです。富士の白糸の滝とは全く趣が違います。



ここに来たら定番の岩魚の炭火焼きをいただきます。

白糸の滝からは、渋滞を承知で三笠通りから旧軽銀座へ。夏にら白樺並木がきれいなのでしょうが、今はまだやっと芽吹いたところ。
それにしても軽井沢駅付近の渋滞は激しく、クルマを止めるところも満車だったので、旧軽の散策はパス。そのままR.18に出て小諸方面に走り、叔母のお薦め「追分けそば」へ。しかし閉店時間が何と16時…。ほんのタッチの差で間に合いませんでした。
で、中軽井沢付近で偶然発見した「かぎもとや」というそば屋さんへ。中に入ってビックリ!何と明治3年創業の老舗で、壁にはギッシリと有名人のサイン色紙が貼られています。中にはワタシの大好きな山崎努氏も。
天ぷらざるそばを食べましたが、ワタシの中で1、2に入るほどの絶品でした。あとで知ったのですが、けんちん汁も有名なんですね。ちょっと心残り…。


その後は軽井沢プリンスショッピングプラザ(軽井沢アウトレット)へ。池に映る夕暮れの浅間山がきれいです。

ちょうど、二人の娘の誕生日が近いので何かないかと探していたら、ナイキのお店でカワイイ配色のスニーカーを発見!しかも姉妹でお揃いで履けるサイズがあったので、これに決定!

しばらく色々なお店を見て歩いた後、21時半頃、今夜の宿である「旅籠屋軽井沢店」にチェックイン。素泊まりの自動車旅行者向けのホテルですが、オーナーさんの感じもよく、部屋もきれいで大満足。キングサイズのベッドで旅の疲れを癒します。
2013年5月4日
翌朝撮影の旅籠屋軽井沢店の様子です。素泊まりとはいえ、朝はパンとコーヒーとジュースを自由にいただくことができます。暖炉のあるラウンジで、オーナーに観光ルートのレクチャーを受けてチェックアウト。この旅籠屋さん、全国各地にあるのでクルマで旅行の際にはまた利用したいですね。




今日は中軽井沢周辺からスタート。星野リゾートグループが近年開発した観光施設が立ち並びます。まだ9時だというのに、もう観光客が出てきています。クルマだけは何とか駐車場に止めれました。

川のせせらぎに、何となく遅めの春を感じますね。

最初に歩いて軽く山を登って向かったのが石の教会と内村鑑三記念堂。ちょうど結婚式の最中で、しばらく見学を止められてしまいましたが、それが終わるとガイドツアーをしてくれます。平たい石を積み重ねたアーチ型の教会は厳かな雰囲気です。挙式直後の祭壇も最前列席で見学できました。撮影は禁止でしたが…。




記念堂にある、内村鑑三の書簡や資料が展示してあります。

星野リゾートのシャトルバスでハルニレテラスへ移動。軽井沢らしさにこだわった、新しいショップが並ぶ施設です。

その中にある「村民食堂」でランチ。ここは事前に妹がお薦めの店として紹介してくれていました。


軽井沢ポークのランチをいただきました。

ハルニレテラスではネイチャーツアーもやっていて、ハンモックで遊ぶこともできます。

お店はこんな感じで並んでいます。雑貨屋さんやそば屋さん、ジェラート屋さん、和菓子屋さん、ワイン屋さんなど魅力的な、そして旧軽地区とはまた違ったハイソな感じのお店たちです。

最後に丸山珈琲をテラスでいただき、ハルニレをあとにします。

と、ここで叔母が何と「小作のほうとうが食べたい」とタマゲタことを言い出します。まあ、大まかに軽井沢のハイライトは見学したので、ご要望に応えるべく帰路のルートを大幅変更。軽井沢から小諸を経て、R.141で野辺山高原経由で清里を目指します。
意外に順調に走ってきたので、夕飯にはまだ早いということで、毎年夏にキャンプ帰りに立ち寄る「まきば公園」へ。じゅんじゅん、ここの草原を走るのが大好きだったなぁ…。

で、ほうとうの「小作」清里店に到着。

やっぱりいつもと同じ、豚肉ほうとうをいただきます。

ここまできたら、やはりワタシにとっての聖地「武川」に立ち寄らないわけにはいきません。須玉から山越えして、釜無川を渡り、いつもの牧原交差点から大武川の河原へ。残雪の駒ヶ岳がぼんやり見えます。

この夏も、「フレンドパークむかわ」のキャンプ予約をしてあるのですが、果たして家族で来ることができるのだろうか…。

などと雑念を抱きながら、フレンドパークむかわ、篠沢大滝、ビッグランドのキャンプ場を道すがら見回り。どこもテントとタープの花がたくさん咲いていて羨ましい限りです。食鮮館エブリのある道の駅はくしゅうも混雑していたので、恒例のお米ジェラートはお預けに…。
そのままR.20を諏訪まで走り、中央道へ。途中小黒川P.Aで長めの休憩を取り、その後は渋滞の解消した中央道を名古屋までノンストップで走行。22時すぎ、叔母を送り届けて無事に帰着しました。
今回の1泊2日の走行距離は765.3Km。平均燃費は10.3Km/Lでした。

2012年11月16日
はじめての海外旅行…バンコク・アユタヤ
11月5日~10日の4泊6日+機中1泊で、タイ・バンコク、アユタヤに行ってきました。
勤務先の「スズキ タイ研修旅行」で、総勢約3千名が1日1班ずつ、計12班に分かれてチャーター機で出発。ワタシは初陣第1班約230名の中のひとり。ワタシと同じ直納部からは全国で8名が選抜され、所属する名古屋の事務所からは一人で参加です。
11月5日(月) 第1日目



ホテル日航成田に前泊し、成田空港第2ターミナルに集合。JALのチャーター機 JL8837便 ボーイング777-200ER型機(JA702J)で成田を11時20分に出発。初めての海外旅行なので機内食も楽しみの一つです。
カンボジアやベトナムの上空を経て、タイ・スワンナプーム国際空港に到着。ここまで2時間の時差を考慮して約7時間。さすがにエコノミー席では疲れます。降機した途端に蒸し暑い空気に襲われます。

空港から貸切バスで、バンコク市内にある5つ星ホテルの1つである「ロイヤルオーキッドシェラトンホテル」にチェックイン。ここに4泊します。ちなみに今回の研修旅行は同クラスのホテル6ヶ所に分散して宿泊します。
まずは旅行中の予定や諸注意を聞きながら、ビュッフェの夕食。ウェルカムドリンクはザクロのカクテル。タイバーツへの両替もエントランスに設けられた専用のツアーデスクで行うことができます。

ワタシの部屋は11階のツインルームで東京事務所の「アリさん」と同室です。ベッドの上には当社会長からのメッセージ付チョコレートが。
長時間の移動と暑さで疲れたのでシャワーを浴びて早々に就寝します。
水道水が微妙に黄色くて、何だか川のニオイが…。歯磨きも備え付けのミネラルウォーターを使います。洗髪する時に、シャワーの水が口に入らないようにしないと。
11月6日(火) 第2日目


朝6時からビュッフェの朝食。今日の予定は当社のタイ工場と販売店の見学。7時に出発です。
タイ滞在中にお世話になった観光バスは、「ボルボ B7R」というバス用シャーシにタイ製のボディーを架装したハイデッカーバス。タイの道路事情に合わせてエアサスではなくリーフサス。おまけに後部のエアコンが壊れていてお世辞にも快適とは言えません。でもタイでは高級な部類のバスです。
高速道路のサービスエリアは、日本の昭和な時代のドライブインに似ています。マックやセブン、ケンチキもありました。


高速道路を2時間半ぐらい走って、やっとスズキ タイ工場に到着。まだ操業を開始したばかりの新しい4輪車工場で、タイ国内と近隣国向けのスイフトを生産しています。
スイフトはタイでもエコカーとして認知され多大なバックオーダーを抱えているそうで、今後の生産台数拡大のために、工場拡張工事をしていました。工場内は撮影不可だったので、事務棟での説明会の写真しかありません。


工場近くのゴルフ場内にあるレストランでビュッフェの昼食。バミーというラーメンに似た麺類が美味しく2杯食べてしまいます。昼からビールなどアルコールも飲み放題。タイのシンハーというビールも飲みやすくて進んでしまいます。

バンコク市内に戻り、スズキ車を取り扱っている販売店を見学。白くてガラス張りの真新しい店舗が何となくレクサスのお店に来たような気分に…。
ちなみにタイは、日本のメーカーのクルマが大半を占めています。これまではピックアップトラックが販売の中心だったそうですが、近年はセダンやコンパクトハッチ、SUVタイプが増えているようです。大径アルミやエアロで日本仕様よりカッコいいカローラや、日本では販売されていないハリヤーのようなクルマ、ヴェルファイアやエスティマもよく見ましたね。圧倒的に多いのは200系ハイエースでした。




夜はバンコク市内を流れる大河の「チャオプラヤー川」でクルーズディナー。これもビュッフェでしたが、食後はアッパーデッキに出て、キャンドルの灯るテーブル席でアルコールを飲みながら夜景鑑賞。川の上は夜風涼しく、ライトアップされた数々の寺院や橋がとてもキレイでした。
11月7日(水) 第3日目
この日はセレクトツアーになっていて、水上マーケットのツアーに参加予定でしたが、昨夜から腹痛に襲われキャンセル。1日中ホテルで休養していました。
水はもちろん、生野菜も氷の入った飲み物も控えていたのに不覚にも「水あたり」してしまいました。洗顔やシャワーで不意に口に入る水がいけなっかたみたい。




室内の様子と、窓から見えるチャオプラヤー川と街並みです。これは西側の風景なのですが、反対の東側が高層ビルの立ち並ぶバンコク中心部になります。
昨夜、ボイラーが壊れてシャワーのお湯が出なくなったお詫びのフルーツ盛りがホテルから届きました。腹痛で食欲のなかったワタシにはちょうどよい栄養源。バナナとリンゴをミネラルウォーターでよく洗って食べました。
ベットメイキングのお兄さんと、カタコトの英語やタイ語で身振り手振りを交えて会話をしたり、ホテル内を散策したり、それなりに楽しい1日でした。夜の中華料理もハズレだったらしいし…。
11月8日(木) 第4日目
体調はほぼ復活。朝からビュッフェでモリモリ食べます。焼きたてのパンが絶品です。



今日はバンコク市内の寺院や王宮を観光します。昨日食べれなかった分を挽回しておかないと、灼熱のバンコクを巡るパワーが出ません。





ホテル前の桟橋から船に乗って、ワット・アルンへ。一昨日のクルーズ船から見えていた、夜景の美しい暁の寺です。急な階段を昇っていきます。いや、階段を降りる方が怖さも手伝い難儀でした。
ちなみに「ワット」とは「寺院」の意味だそうです。


ワット・ポー。金色に輝く寝釈迦像の大きさに絶句。そういえば最近、岡崎の一畑山薬師寺でもみかけたような…。



エメラルド寺院と王宮。暑さと湿気でぐったり。喉もカラカラ。立っているのがやっとなのでガイドさんの説明も上の空…。早くバスに戻ってミネラルウォーターが飲みたい!

昼は市内のホテルで飲茶風ビュッフェ。この後、巨大免税店「キングパワー」でお土産を購入。品物は帰国時に空港で渡されます。



夜は他の班が宿泊している「シャングリラホテル」に移動して、後発の第2班と合同でパーティー。約450人が豪華なホールに集まり、フレンチのフルコース料理をいただきます。ひとり分のパンの量がスゴい…。魚料理は地元のナマズでした。
民族舞踊や生バンドもあって、それは豪華絢爛なパーティーでした。
11月9日(金) 第5日目
今日はタイ滞在最終日。世界遺産のアユタヤの観光です。荷物をまとめて9時にホテルをあとにします。







高速道路を2時間ほど北上。40℃近い酷暑の中、アユタヤを観光します。バンパイン宮殿、ワット・マハタート、ワット・ヤイチャイ・モンコンなどを見学。菩提樹に覆われる、ビルマ軍に切り落とされた仏頭が有名な世界遺産です。
でも、とにかく暑くて見学は殆んど消化ゲームの雰囲気…。昼食は近くのホテルでビュッフェ。これだけビュッフェが続くとさすがに飽きます。
高速道路を南下し、バンコク市内へ移動。激しい渋滞で到着したのは17時頃。


タイで最後の夕食は「タイスキ」。日本で言うところの寄せ鍋です。間違っても鯛のすき焼きではありません。締めはタイ米を使った雑炊でした。
この後、タイ・スワンナプーム国際空港へ。諸手続きの後、空港内の免税品店で1時間ほどお土産などを買います。
22時30分、JALのチャーター機 JL8838便 ボーイング777-200ER型機でタイに別れを告げ、帰国の途に就きました。


機内では眠ることができず、マルチモニターで「おおかみこどもの雨と雪」「釣りバカ日誌」「あなたへ」などの映画を見て過ごしました。
途中、台湾の夜景や星空がとてもキレイでした。4時半頃に朝食が運ばれ、日の出間際の6時15分に成田空港に無事帰着。35℃のタイから9℃の成田に帰ってくると、さすがにブルブルと震えました。
最初は正直、気乗りのしない旅行で出発直前まで「行きたくない」「面倒くさい」を連発していましたが、終わってみればアッという間の6日間でした。
バンコク特有の臭気にもいつしか慣れ、今回の旅行で見そびれたところをもう一度見に行きたいなぁ…なんていう気持ちにもなりました。
多分、「一生のうち最初で最後の海外旅行」になるであろうと思っていましたが、意外や意外、パスポートを10年にしておけばよかったと、いささか後悔しております。
勤務先の「スズキ タイ研修旅行」で、総勢約3千名が1日1班ずつ、計12班に分かれてチャーター機で出発。ワタシは初陣第1班約230名の中のひとり。ワタシと同じ直納部からは全国で8名が選抜され、所属する名古屋の事務所からは一人で参加です。
11月5日(月) 第1日目



ホテル日航成田に前泊し、成田空港第2ターミナルに集合。JALのチャーター機 JL8837便 ボーイング777-200ER型機(JA702J)で成田を11時20分に出発。初めての海外旅行なので機内食も楽しみの一つです。
カンボジアやベトナムの上空を経て、タイ・スワンナプーム国際空港に到着。ここまで2時間の時差を考慮して約7時間。さすがにエコノミー席では疲れます。降機した途端に蒸し暑い空気に襲われます。

空港から貸切バスで、バンコク市内にある5つ星ホテルの1つである「ロイヤルオーキッドシェラトンホテル」にチェックイン。ここに4泊します。ちなみに今回の研修旅行は同クラスのホテル6ヶ所に分散して宿泊します。
まずは旅行中の予定や諸注意を聞きながら、ビュッフェの夕食。ウェルカムドリンクはザクロのカクテル。タイバーツへの両替もエントランスに設けられた専用のツアーデスクで行うことができます。

ワタシの部屋は11階のツインルームで東京事務所の「アリさん」と同室です。ベッドの上には当社会長からのメッセージ付チョコレートが。
長時間の移動と暑さで疲れたのでシャワーを浴びて早々に就寝します。
水道水が微妙に黄色くて、何だか川のニオイが…。歯磨きも備え付けのミネラルウォーターを使います。洗髪する時に、シャワーの水が口に入らないようにしないと。
11月6日(火) 第2日目


朝6時からビュッフェの朝食。今日の予定は当社のタイ工場と販売店の見学。7時に出発です。
タイ滞在中にお世話になった観光バスは、「ボルボ B7R」というバス用シャーシにタイ製のボディーを架装したハイデッカーバス。タイの道路事情に合わせてエアサスではなくリーフサス。おまけに後部のエアコンが壊れていてお世辞にも快適とは言えません。でもタイでは高級な部類のバスです。
高速道路のサービスエリアは、日本の昭和な時代のドライブインに似ています。マックやセブン、ケンチキもありました。


高速道路を2時間半ぐらい走って、やっとスズキ タイ工場に到着。まだ操業を開始したばかりの新しい4輪車工場で、タイ国内と近隣国向けのスイフトを生産しています。
スイフトはタイでもエコカーとして認知され多大なバックオーダーを抱えているそうで、今後の生産台数拡大のために、工場拡張工事をしていました。工場内は撮影不可だったので、事務棟での説明会の写真しかありません。


工場近くのゴルフ場内にあるレストランでビュッフェの昼食。バミーというラーメンに似た麺類が美味しく2杯食べてしまいます。昼からビールなどアルコールも飲み放題。タイのシンハーというビールも飲みやすくて進んでしまいます。

バンコク市内に戻り、スズキ車を取り扱っている販売店を見学。白くてガラス張りの真新しい店舗が何となくレクサスのお店に来たような気分に…。
ちなみにタイは、日本のメーカーのクルマが大半を占めています。これまではピックアップトラックが販売の中心だったそうですが、近年はセダンやコンパクトハッチ、SUVタイプが増えているようです。大径アルミやエアロで日本仕様よりカッコいいカローラや、日本では販売されていないハリヤーのようなクルマ、ヴェルファイアやエスティマもよく見ましたね。圧倒的に多いのは200系ハイエースでした。




夜はバンコク市内を流れる大河の「チャオプラヤー川」でクルーズディナー。これもビュッフェでしたが、食後はアッパーデッキに出て、キャンドルの灯るテーブル席でアルコールを飲みながら夜景鑑賞。川の上は夜風涼しく、ライトアップされた数々の寺院や橋がとてもキレイでした。
11月7日(水) 第3日目
この日はセレクトツアーになっていて、水上マーケットのツアーに参加予定でしたが、昨夜から腹痛に襲われキャンセル。1日中ホテルで休養していました。
水はもちろん、生野菜も氷の入った飲み物も控えていたのに不覚にも「水あたり」してしまいました。洗顔やシャワーで不意に口に入る水がいけなっかたみたい。




室内の様子と、窓から見えるチャオプラヤー川と街並みです。これは西側の風景なのですが、反対の東側が高層ビルの立ち並ぶバンコク中心部になります。
昨夜、ボイラーが壊れてシャワーのお湯が出なくなったお詫びのフルーツ盛りがホテルから届きました。腹痛で食欲のなかったワタシにはちょうどよい栄養源。バナナとリンゴをミネラルウォーターでよく洗って食べました。
ベットメイキングのお兄さんと、カタコトの英語やタイ語で身振り手振りを交えて会話をしたり、ホテル内を散策したり、それなりに楽しい1日でした。夜の中華料理もハズレだったらしいし…。
11月8日(木) 第4日目
体調はほぼ復活。朝からビュッフェでモリモリ食べます。焼きたてのパンが絶品です。



今日はバンコク市内の寺院や王宮を観光します。昨日食べれなかった分を挽回しておかないと、灼熱のバンコクを巡るパワーが出ません。





ホテル前の桟橋から船に乗って、ワット・アルンへ。一昨日のクルーズ船から見えていた、夜景の美しい暁の寺です。急な階段を昇っていきます。いや、階段を降りる方が怖さも手伝い難儀でした。
ちなみに「ワット」とは「寺院」の意味だそうです。


ワット・ポー。金色に輝く寝釈迦像の大きさに絶句。そういえば最近、岡崎の一畑山薬師寺でもみかけたような…。



エメラルド寺院と王宮。暑さと湿気でぐったり。喉もカラカラ。立っているのがやっとなのでガイドさんの説明も上の空…。早くバスに戻ってミネラルウォーターが飲みたい!

昼は市内のホテルで飲茶風ビュッフェ。この後、巨大免税店「キングパワー」でお土産を購入。品物は帰国時に空港で渡されます。



夜は他の班が宿泊している「シャングリラホテル」に移動して、後発の第2班と合同でパーティー。約450人が豪華なホールに集まり、フレンチのフルコース料理をいただきます。ひとり分のパンの量がスゴい…。魚料理は地元のナマズでした。
民族舞踊や生バンドもあって、それは豪華絢爛なパーティーでした。
11月9日(金) 第5日目
今日はタイ滞在最終日。世界遺産のアユタヤの観光です。荷物をまとめて9時にホテルをあとにします。







高速道路を2時間ほど北上。40℃近い酷暑の中、アユタヤを観光します。バンパイン宮殿、ワット・マハタート、ワット・ヤイチャイ・モンコンなどを見学。菩提樹に覆われる、ビルマ軍に切り落とされた仏頭が有名な世界遺産です。
でも、とにかく暑くて見学は殆んど消化ゲームの雰囲気…。昼食は近くのホテルでビュッフェ。これだけビュッフェが続くとさすがに飽きます。
高速道路を南下し、バンコク市内へ移動。激しい渋滞で到着したのは17時頃。


タイで最後の夕食は「タイスキ」。日本で言うところの寄せ鍋です。間違っても鯛のすき焼きではありません。締めはタイ米を使った雑炊でした。
この後、タイ・スワンナプーム国際空港へ。諸手続きの後、空港内の免税品店で1時間ほどお土産などを買います。
22時30分、JALのチャーター機 JL8838便 ボーイング777-200ER型機でタイに別れを告げ、帰国の途に就きました。


機内では眠ることができず、マルチモニターで「おおかみこどもの雨と雪」「釣りバカ日誌」「あなたへ」などの映画を見て過ごしました。
途中、台湾の夜景や星空がとてもキレイでした。4時半頃に朝食が運ばれ、日の出間際の6時15分に成田空港に無事帰着。35℃のタイから9℃の成田に帰ってくると、さすがにブルブルと震えました。
最初は正直、気乗りのしない旅行で出発直前まで「行きたくない」「面倒くさい」を連発していましたが、終わってみればアッという間の6日間でした。
バンコク特有の臭気にもいつしか慣れ、今回の旅行で見そびれたところをもう一度見に行きたいなぁ…なんていう気持ちにもなりました。
多分、「一生のうち最初で最後の海外旅行」になるであろうと思っていましたが、意外や意外、パスポートを10年にしておけばよかったと、いささか後悔しております。
2012年11月09日
バンコク観光





ワットアルン、王宮、エメラルド寺院、ワットポーなどを見学。とにかく朝から暑い1日でした。
夜はシャングリラホテルに1班・2班が合流し、総勢480名のパーティー。フレンチのフルコースをいただきました。
明日は最終日。アユタヤ観光をして、深夜のチャーター機で帰国の途に就きます。
何だかもう少し滞在したい気も…。
2012年11月07日
バンコク滞在中


昼間は蒸し暑く、深夜には激しい雷に見舞われております。
お腹があまり丈夫ではないワタシ、飲食には細心の注意を払っていましたが…。
水当たりしました(と、思われる)。
今日は水上マーケットのツアーに参加の予定でしたが、ひとりホテルで安静にしております。
今夜は中華料理だそうですが、ムリそうだなぁ。
早く日本に帰って、お寿司や生野菜が食べたいです。あと2泊+機内1泊。長い…。
2012年05月11日
白馬・戸隠・小布施 旅行記 (2012.5.3 〜4)










今回は備忘録でもあるので、ちょっと長い文章ばかりです。運転中に良い景色等が現れるため撮影ができず、写真が少ないのも残念です(車窓のビデオは奥さんが撮っていましたが)。
1日目(2012.5.3)
朝7時20分、愛車デリカD:5 に乗り込み名古屋の自宅を出発、鳴海I.Cから名二環・東名高速 を経て中央道へ。天気は曇。目的地である長野県北部の天気予報は雨で気が重い。
土岐付近でやや渋滞ぎみになるも、すぐにクリア。CBCラジオからはレポドラが恵那峡S.Aで中継している様子が流れてきて、もう少し早ければ遭遇できたのに…と、ちょっと残念。
小雨降る中、恵那峡S.Aで小休止。ほんの2ヶ月弱の間にリニューアルされていて、レストランは少し高級志向にシフトされた様子。と、先程の中継を終えて機材をCBCの中継車であるプリウスαに片付けているレポドラを発見。声を掛けてちょっと雑談させてもらったら、レポドラ特製ティッシュボックスをいただいた。
恵那山トンネルを抜けると澄んだ空気に薄日が差していた。あちこちに満開の八重桜が見える。赤やピンクや白のハナモモも咲き、飯田からは白い花をつけたリンゴ畑が広がる。南アルプスには雪が残り、雪形を形成している。その中腹あたりにほぼ一直線に長く細い雲がたなびく。山の上からみたら見事な雲海であろう。
駒ヶ岳S.Aで再び休憩。行列していた生いちごジュースなるものを飲んでみる。甘酸っぱくて美味い。駐車場の誘導係のガードマンが皆んな怠けていて危険だったので、たまたま通りかかったNEXCO中日本のパトロールカーに改善を求めたら即座に対応、ガードマンたちはしっかり仕事を始めた。
伊北付近で事故渋滞に捕まり34分のロス(長女計測による)。岡谷J.C.Tからの長野道では遅れを挽回すべくペースアップ。道路上の吹き流しがこの時期こいのぼりに変わっていることに子供たちは喜んでいる。
正面に小さく見え始めた白馬の山がだんだん大きくなってきた頃、梓川S.Aでランチタイム。コンシェルジュに立ち寄ると子供向けに手作りのミニこいのぼりを配っていて大盛況。DOUTORでサンドとコーヒーを買い、屋外の小高い丘のベンチでいただくランチはとても幸福。
さて、ここで今後のルート検討。実は長野県は雨予報だったので、このまま高速で長野まで行き早めにホテルにチェックイン、館内の施設で遊ぼうと考えていたが、意外にも薄曇りで経過している。そこで白馬経由で車窓を楽しみながらホテルを目指すことにした。
豊科I.Cから高瀬川沿いを走り大町に出て、R.147で木崎湖、青木湖に差し掛かる。ちょうど桜が満開。残雪の五竜岳や白馬岳を眺めながらオリンピック道路で八方へ。今シーズン最後のスキーやスノボを楽しむ人たちが見える。車外に出るとさすがに空気が冷んやりしている。来シーズンは必ず白馬へスキーに来たいと思って止まない。
白馬村内で日用品を買ったあと、いよいよ飯綱高原にあるホテルへ向ける。白馬駅の脇からR.406に入り、国道とは名ばかりの狭い山道を上る。ぐんぐんと高度を上げると峠に見晴台が現れ、白馬の山々を大迫力で眺めることができる。
雨の降りだした中、デリカD:5はさらに高度を増してゆく。駆動モードは4WD AUTO、シフトモードはDS、パドルシフトを駆使し、マルチリンクの足回りを従え、ワンボックスらしからぬ走りで次々に現れるタイトコーナーをクリアしていく。踏めばキチンと効くブレーキ、リブボーンフレームによる剛性の高いボディなど、悪路や悪天候になるほどデリカD:5は生き生きしてくる。このクルマを所有する歓びを大いに感じるシーンである。同乗者がいることも忘れて…。
奥裾花のミズバショウで有名な鬼無里を過ぎる頃には、雨は小降りとなる。さらに狭い県道を走ること40分、やっと戸隠に出る。ここからバードラインを下っていくと、今夜の宿がある飯綱高原へと至る。
17時、「ホテルアルカディア ふたつとない景色」に到着。時折霧が立ちこめ雨足が激しくなる中をチェックイン。和洋室である116号室のキーを渡される。
リゾートウェディングもできるというこのホテルは飯綱高原スキー場の目の前にあり、広大な敷地の中にはテニスコートやバーベキュー場もあり、カートを借りて周遊することもできる。ガラス張りのロビーからは好みのフレーバーティーを飲みながら読書や長野市内の景色を楽しむことができる。朝は遥か志賀高原の山から昇る朝陽を客室からも望むことができるらしい。
夕食は地元産の野菜をメインにしたビュッフェ。正直、名の知れたシティーホテルのそれよりは種類に欠けるが、それでも全種類を網羅することはできなかった。意外にもボリュームがあり、ドレッシングが美味しいので生野菜に手が伸びるのはいい傾向。ソフトドリンクはもちろん、生ビールや各種ワインも飲み放題で満足だった。
食事の後は卓球台を借りて遊んだ。かれこれ10年ほど前に、スリッパを飛ばしながら温泉宿で卓球に興じるビールのCMがあったのを思い出した。けっこう汗をかく遊びだ。
部屋に戻り入浴する。残念ながら大浴場は温泉化と改装工事中ということで使用できなかった。これは予めわかっていたことなので納得済。そのかわりトイレと分離された部屋の浴室は、大きめのバスタブと広い洗い場で、明るく清潔感があり家族で入ることもできそうだった。
和洋室ということで、2台のベッドには奥さん+次女、長女が寝ることになり、ワタシは5畳間に布団を敷いて寝ることになった。この部屋には敢えてテレビがなく、フロントで借りられるヒーリングのCDを備え付けのプレーヤーで聞くことができる。ターニングポイントというCDをBGMに就寝した。
先ほどまでの濃霧と雨は何処へやら、長野市内の夜景がわずかに見える夜であった。
2日目(2012.5.4)
昨夜、フロントで尋ねた日の出の時間に起きてみた。晴天なら志賀高原の焼額山から昇る朝陽が見えるという。4時40分、窓の外は明るくなりつつあるものの小雨模様。残念ながら日の出は拝めず二度寝となる。
次に目覚めたのは6時半。窓を開けると高原らしい冷たい空気が入ってくる。ゆっくり身支度を整え、7時半に朝食会場へ。昨夜と同じくビュッフェで、お決まりの米飯食派かパン食派かがバレてしまうスタイル。我が家はパン食派であるが、クロワッサンも生ジュースもコーヒーも美味しく満足。生野菜もたっぷり食べた。
荷物整理と身支度を整え、9時すぎにチェックアウト。雨が止んだ隙にカートを借りてホテルの敷地を周遊。あちこちにフキノトウが生え、サクラも満開。湿原にはミズバショウも咲いている。ホテルをバックに記念写真を撮っていると急に雨が降りだし、慌ててカートに飛び乗り返却に向かう。
9時半、ホテルアルカディアを後にする。所々に設備の老朽化が垣間見えなくもないが、食事も接客も清潔度もほぼ満足だった。次回はぜひ好天時に訪れたいと思う。
昨日走ってきたバードラインを戸隠に向けて登っていく。雨と濃霧に見舞われ、フォグランプを点灯する。そば博物館に立ち寄るがあまり見るものもなく早々に退散。戸隠神社の宝光社や中社も数年前に訪れたのと悪天候のためパス。
しかし、ここまで来て絶対に外せないのは戸隠そば。いつもは中社周辺の有名店で食すことが多いのだが、今回は戸隠スキー場近くにある「極楽坊」に寄ることにした。昨夜宿泊したホテルのイチオシとのことで、10時半の開店前から数組のお客さんが並んでいた。運よく開店同時に入ることができ、ざるそば5ぼっち盛りを堪能。わさびではなく辛味ネギと大根おろしで食べるところが新鮮。美味しくいただいた。
やや激しく降っていた雨も上がり、薄日が差してきた。ちょうどいい、すぐ近くの戸隠森林植物園を散策することにする。まだ雪の残る園内にはミズバショウの群落がある。ブナやカラマツの林の湿地帯には遊歩道が掛けられ、池の畔を野鳥の声を聞きながら歩く。トレッキングシューズを履いたハイカーや、双眼鏡でバードウォッチングを楽しむ人も多い。長女も次女も、およそ1.5Kmを1時間ほどかけてしっかり歩いた。どちらかというと、雪の塊で遊びたい様子だったが…。
車に戻り戸隠を後にする。独身時代に訪れた、2Kmもの杉並木を歩いて参拝する戸隠神社奥社にも行きたかったが、次女の足ではまだムリ。次回のお楽しみということにする。
戸隠キャンプ場を横目に山を下り、道の駅 しなのふるさと天望館へ。長女のコレクションである「道の駅きっぷ」の取り扱いがなく残念。高原ソフトクリームを食べ、タラの芽、ワラビ、コシアブラなどの山菜を買う。
信濃町I.Cから上信越道にのって長野方面に南下する。飯山の菜の花公園を目指していたが、どうも局地的に雨が降っているらしく断念。そのまま南下を続けると、上信越道に沿って流れる千曲川の堤防に永遠と続く八重桜並木に遭遇。満開の八重桜の下にはタンポポの群生や菜の花が咲き、とても美しい。風にのって桜吹雪になっていたりする。
間もなく小布施P.Aに到着、遅い昼食とする。ワタシは信州豚のソースカツ丼を食べたのだか、手作り揚げたてでとても肉厚でジューシー。値段もちょっと高めだが満足だった。
そのまま小布施スマートI.Cで出て、小布施の街を散策することにする。市街地までの道程は、栗畑より満開のリンゴ畑が果てしなく広がっている。
小布施というと「栗菓子」しか思いつかないのだが、実は収穫量は多くないらしい。しかし酸性の土壌と地形が大粒で品のある味の栗が実るそうだ。
葛飾北斎が晩年にこの地で描いた作品が展示されている「北斎館」のまわりは土産物店が軒を連ねている。栗菓子を扱った老舗も多々あり、栗の小径や蔵の並ぶ街並みをゆっくり見て回ろうとした矢先に激しい雨が…。ついさっきまで晴れていたので雨具がなく、土産物店内でしばらく雨宿りを余儀なくされる。
1時間ほどしてやっと雨具なしで移動できるようになる。先ほどまで賑わっていた通りは観光客もなく閑散としてしまった。時刻も17時を過ぎてしまい、薄暗く、肌寒くなってきた。
それでもせっかくなのでお土産だけでもと、小布施堂や桜井甘精堂で栗羊羮や栗かのこを買い、「栗の木テラス」というカフェでモンブラン、「茶蔵」で くりあげまん を食べる。帰りに道の駅 オアシス小布施 に立ち寄り、お土産と道の駅きっぷを買い、19時過ぎ、小布施スマートI.Cから上信越道に入り、名古屋に向けて帰路に就く。
更埴J.C.Tから長野道に入るとグッと高度が増していき、そのほぼ頂点にあるのが姨捨S.A。ここから眺める善光寺平の夜景は絶景。長野もこんなに灯りがあるんだ、と驚くばかりの数の光が揺れる。あちこちで撮影している人がおり、我が家も旅の締めに夜景をバックに記念撮影する。
姨捨を出発すると娘たちは眠りに入る。梓川S.Aで15Lだけ給油をし、あとはひたすら名古屋に向けて走り続ける。岡谷J.C.Tから中央道に入ると奥さんも寝てしまう。クルーズコントロールを100Km/h+αにセットし、高橋真梨子やJAYWALKのCDを音量控えめに聴きながらノンストップで名古屋に到着。最寄りの名二環 鳴海I.Cを出て自宅に帰着したのは22時40分。小布施からほぼ3時間半である。
2日間の総走行距離はちょうど700Km、平均燃費は10.8Km/Lであった。
久しぶりの北信濃路旅行は、残念ながら天気には恵まれませんでした。しかし、雪の残る山々や桜、リンゴ、モモのなどの花とミズバショウも見れたし、美味しいものもいっぱい食べ、ホスピタリティの高いホテルに泊まることができ、満足のいく旅でした。
この旅行が、いつまでも娘たちの記憶に残り続けることを願っています。
2011年05月10日
富山へ旅行後編(2011.5.1 )










今朝は7時半頃に目覚めると、雨が上がり薄日が射していました。空気が澄んだので、立山連邦もよく見えます。
ホテルのレストランで朝食を摂り、9時過ぎにチェックアウトしホテルをあとにします。
15分ほど走ると、砺波チューリップフェア会場に到着。八重桜の並木道を歩くといよいよ会場入り口です。
会場内は色々な種類、多彩な色のチューリップが植えられていて、とても華やかです。
チューリップフェアは3年ぶり4回目の来場ですが、毎回植え方に変化があっていつ来ても飽きることがありません。
今年は冬が寒くて長かったせいか、種類や色によってはまだ開花していないものもあり、花絵が未完成な状態でちょっと残念です。
じゅんじゅんはチューリップの花籠作り(500円)に挑戦です。 これは球根を収穫するために取り去った咲き開いた花を使います。自宅まで持ち帰っても、長持ちはしそうにないですが…。
他にはお土産品のブースもあり、チューリップジャム入りのパンやロールケーキも食べました。チューリップソフトクリームもあったのですが、色と香料だけでの仕上げだったので、パスしました。
時の経つのも忘れ、ふと気づけばもう14時半。空模様も怪しくなってきたので会場をあとにすることにしました。
会場周辺にはチューリップ畑が広がっていて、とてもキレイ。そんな道をクルマで走り、砺波市内のお寿司屋さんで遅い昼食をいただきます。
明日は じゅんじゅん の学校があるので帰路につくことにします。東海北陸道を南下して帰りたかったのですが、白川郷や白鳥で渋滞しているとの報に、砺波I.Cから北陸道経由で帰ることにします。
途中、徳光H.W.Oの特産物市場で、ほたるいかの沖漬けやいかの塩辛、うにくらげ、くるみ饅頭などのお土産を買い込みます。
あとはずっとクルーズコントロールを95Km/hにセットし、燃費を稼ぐ走りを心がけます。所々雨が激しく降り、視界を遮ることもありました。
休憩で立ち寄った南条S.Aでは、自衛隊車両の大群と遭遇。隊員さんに伺うと、佐賀から東北の震災被災地に派遣された帰りとのこと。本当に頭が下がります。自衛隊車両がコンボイを組んで出発する時には、どこからともなく人が集まってきて、「ご苦労様!」「ありがとう!」と声をかけて自衛隊の皆さんを見送りました。感極まって泣いているご婦人もいました。
その後は全同乗者が眠りコケていたので、名二環 鳴海I.Cまでノンストップで走行。自宅近くのファミレスで夕食を摂り、22時過ぎに無事帰宅しました。
総走行距離は702Km、平均燃費は10.6Km/Lでした。
お天気には恵まれませんでしたが、久しぶりの親子3代旅行で楽しく過ごすことができました。
次に旅行に行くとしたら、海の日の連休あたりですね。
ん?キャンプは行かないのか?
2011年05月09日
富山へ旅行前編(2011.4.30 )









午前7時15分に出発。先月開通した名二環鳴海I.Cから高速道路に上がります。
東名から名神に入り、養老S.Aで休憩。名物飛騨牛カレーパンを食べて出発。
その間に関ヶ原T.Nで事故が起きてしまい、渋滞にハマってしまいます。約40分のロス…。
一気に雪解けが進んだ伊吹山を眺めつつ、米原J.C.Tから北陸道へ。この辺りから天気が急変。厚い雲に覆われます。
敦賀を過ぎ、標高の高い杉津P.Aで2回目の休憩。恋人の聖地に指定された展望台から若狭湾を一望。昨今の報道のせいか、海岸沿いの集落を見るといろいろな想いが巡りますね。
片山津あたりから本格的な雨降りとなってしまい、「暑い晴天」としていた天気予報を恨みます。
お弁当を食べるために入った徳光H.W.Oは海水浴場と隣接していて真ん前が砂浜。海からの強風と横殴りの雨、激しい落雷で車から出れない状況。
仕方なく車内でお弁当を広げ、6人で楽しく昼食。3箇所のガラスサンルーフから明かりを取り入れると圧迫感もありません。
と、突然目の前の浜辺に閃光が走り爆音が!激しい落雷にデリカも揺れてビックリです。
こんな天気なので、今日予定していた砺波チューリップフェアゆきは明日に順延。渋滞や悪天候で時間も押していましたが、ワタシの独断で氷見を目指すことにしました。
砺波I.Cを出てR156〜R160を北上。途中で今朝からユッケ食中毒のニュースになっている某焼肉店を発見したりします。
氷見に着くと雨は上がり、薄日が射していました。道の駅にもなっている、 氷見フィッシャーマンズワーフ海鮮館 に立ち寄ります。
海鮮館の中は海産物の市場になっていて、買った魚介をその場で捌いて食べさせてくれます。ワタシは氷見産岩ガキ(1個800円)を食べましたが、大粒で濃厚な味。大満足でした。
その後は氷見出身の藤子不二雄A氏にちなんだ、忍者ハットリくんとその仲間たち のモニュメントを探しながら、暫し市内を散策しました。
氷見を発ち、能越道を走り、今夜の宿泊地である南砺市福野に到着したのは18時過ぎ。福野シティーホテルア・ミューに泊まります。
4階の客室からは、曇り空にもかかわらず、まだ雪を被った山々が見えます。
夕食はホテルのレストランでいただきます。和食の御膳でしたが、地元の素材を生かしたメニューで、天ぷらもサクサクでした。
食事の後は、福野の夜高祭という、20基余りの大行灯が市内に練り出す祭の前夜祭があるということで、徒歩で見物に行きました。
前夜祭なので高さ15mぐらいの大行灯が1基出ているだけでしたが、その周りで踊り子や見物人がよさこいを踊り、最後は太鼓が鳴り響く中で大行灯をみんなで引っ張り、市内を移動しました。
お祭りの雰囲気に満足してホテルに戻ると、前代未聞のハプニングが起きていました。何と、ボイラーの故障で客室のお湯が出ない!つまりお風呂もシャワーも使えない!!
ホテル側の手配で宿泊客全員がタクシーに乗り、市内2箇所の入浴施設(普通の銭湯)に分かれて入浴に行く、ということに…。ウチのような乳児連れには大変なことでした(りこりん事実上の初大衆浴場)。
こうして富山の旅行第1日目は過ぎてゆきました。
…第2日目につづく…